平野藤次郎(読み)ひらのとうじろう

改訂新版 世界大百科事典 「平野藤次郎」の意味・わかりやすい解説

平野藤次郎 (ひらのとうじろう)
生没年:?-1638(寛永15)

大坂平野郷の豪家末吉の一統で,朱印船貿易家,銀座頭役,それに摂津国平野の代官職を務めた。父は末吉藤右衛門の三男次郎兵衛(長成)といい,その次男が藤次郎(正貞)で姓を平野と改めた。伯父の次男末吉勘兵衛(道勘,利方)家と同様に,徳川家康の信頼を得て活躍した。大坂の陣の功績によって1615年(元和1)大坂堀川一帯の支配を特許されており,さらに翌16年には摂津平野の代官職に任ぜられ,代々世襲した。藤次郎は1601年(慶長6)10人の銀座頭役の一人として銀座経営に当たり,これも世襲され,銀貨幣鋳造の責任者であった。また26年(寛永3)より35年の寛永鎖国に至るまで朱印船貿易を毎年のように行い,その主流をなす貿易家で,京都の角倉茶屋と並ぶ近世初頭の豪家であった。
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関連語 中田

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平野藤次郎」の解説

平野藤次郎 ひらの-とうじろう

?-1638 江戸時代前期の貿易商
末吉利方の甥(おい)。代々平野藤次郎を称した。父の死後,銀座(銀貨鋳造所)頭役,摂津平野(大阪府)の代官をつぐ。寛永3年から12年の鎖国直前まで台湾・交趾(コーチ)(現ベトナム)との朱印船貿易をおこなった。寛永15年6月10日死去。名は正貞。

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