平野長泰
桃山・江戸初期の武将。豊臣秀吉・徳川秀忠の家臣。尾張津島生。初名は長勝、字は権平。秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦で七本槍の勇名を馳せた。のと遠江守に叙せられ、豊臣氏を賜る。関ヶ原の戦では東軍に属し、のと徳川秀忠に仕え、二条城普請を勤めた。寛永5年(1628)歿、70才。
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平野長泰 ひらの-ながやす
1559-1628 織豊-江戸時代前期の武将。
永禄(えいろく)2年生まれ。尾張(おわり)(愛知県)の人。はじめ豊臣秀吉につかえ,賤ケ岳(しずがたけ)の戦いで七本槍のひとりとして功をたてる。関ケ原の戦いでは東軍に属し,のち徳川家康につかえた。寛永5年5月7日死去。70歳。本姓は清原。初名は長勝。通称は権平。
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ひらのながやす【平野長泰】
1559‐1628(永禄2‐寛永5)
安土桃山時代~江戸初期の武将。通称は権平,遠江守。初名は長勝。長治の子で尾張津島の出身。1579年(天正7)より豊臣秀吉に仕え,83年賤ヶ岳の戦で七本槍の一人として功名をあげ,3000石をあてがわれる。95年(文禄4)加増されて大和十市郡で5000石を領し,田原本(たわらもと)に拠る。関ヶ原の戦では東軍に属し,戦後所領を安堵される。大坂の陣には江戸で留守居を命ぜられた。子孫は田原本で交代寄合として江戸幕府に仕えた。
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