中国、山西(さんせい)省南東部の地級市。2市轄区、長治県など10県を管轄し、潞城(ろじょう)市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口339万2000(2014)。太行(たいこう)山脈の南部を横断して華北平原に注ぐ衛河(えいが)の支流、濁漳河(だくしょうが)(潞水)の上流に開ける盆地に位置し、中原(ちゅうげん)を望む要地として、春秋戦国時代から各国が領有を争う所であった。秦(しん)はここに上党(じょうとう)郡を置き、漢は壺関(こかん)県、長子県などを置き、その後も上党、潞州、潞安府の中心であった。
長治とその南の晋城(しんじょう)(沢州(たくしゅう))にかけて豊富な石炭、鉄鉱石が分布し、古くから鉄製品が生産され、とくに針や釘(くぎ)は全国でその名を知られていた。現在も製鉄、機械工業が発達している。そのほか毛織物業、酒造業も伝統的産業である。太焦線(太原(たいげん)―焦作(しょうさく))と邯長(かんちょう)線(邯鄲(かんたん)―長治)が交差する交通の要衝で、市街近くには長治王村空港がある。
[秋山元秀・編集部 2017年10月19日]
中国華北地区,山西省の南東部にある鉱工業都市。人口65万(2000)。濁漳河上流部にあり,太新鉄道(太原~新郷)に沿い,長治北駅から邯長線(邯鄲~長治)を分岐する。秦代壺関県がおかれ,隋代上党県となり,明代に長治県と改められ,潞安府の府治となった。この地は,河北,河南に通ずる要衝の地で,唐代,昭義節度使の根拠であった。五代の時代は南北勢力が角逐し合う舞台となった。1954年潞城県と合併,潞安県となった。また45年長治県の市街地に市制がしかれ,長治市となっていたが,58年旧長治県の地域が長治市に合併され,その後62年長治市と長治県が分離した。長治市は省直轄市だが晋東南地区の行政機関は同市に置かれている。潞南地区の炭田の中心で,鉄鋼,化学,機械など重化学工業が発達している。市内に昔の上党郡衙の大門が残り,明代の観音堂が残る。
執筆者:河野 通博
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…(2)晋東山地 おもに東部と南東部にわたり,太行山脈を中心として北東から南西へ恒山,五台山,繫舟(けいしゆう)山,太岳山,中条山の諸山脈が走っている。すべて標高1500m以上で,山間に長治,平定,晋城,寿陽等の盆地が散在し,太行山脈中には娘子関(じようしかん),天井関(てんせいかん)(太行関)など,山西高原から華北平原に通ずる重要な峠道がある。北の内長城線には雁門関(がんもんかん),平型関等の要害があり,とくに雁門関の南北では気候と農作物に大差がみられる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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