長治(読み)チョウジ

世界大百科事典 第2版の解説

ちょうち【長治 Cháng zhì】

中国華北地区,山西省の南東部にある鉱工業都市。人口299万(うち市部55万。1994)。濁漳河上流部にあり,太新鉄道(太原~新郷)に沿い,長治北駅から邯長線(邯鄲~長治)を分岐する。秦代壺関県がおかれ,隋代上党県となり,明代に長治県と改められ,潞安府の府治となった。この地は,河北,河南に通ずる要衝の地で,唐代,昭義節度使の根拠であった。五代の時代は南北勢力が角逐し合う舞台となった。1954年潞城県と合併,潞安県となった。

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大辞林 第三版の解説

ちょうじ【長治】

年号(1104.2.10~1106.4.9)。康和の後、嘉承の前。堀河天皇の代。

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日本の元号がわかる事典の解説

ちょうじ【長治】

日本の元号(年号)。平安時代の1104年から1106年まで、堀河(ほりかわ)天皇の代の元号。前元号は康和(こうわ)。次元号は嘉承(かしょう)。1104年(康和6)2月10日改元。天変を理由に行われた(災異改元)。『漢書(かんじょ)』を出典とする命名。長治年間は、白河(しらかわ)上皇による院政が行われていた。白河は1086年(応徳(おうとく)3)、8歳の堀河天皇に譲位することで、その後見として院政を開始した。さらに1099年(康和1)に関白の藤原師通(もろみち)が急逝すると、一族の内紛もあって藤原氏の影響力は急速に低下し、権力は白河上皇に集中した。堀河天皇は政務に熱心に取り組んだが、白河院政が強化されるにつれ、次第にその関心は音楽や和歌に移っていったといわれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長治
ちょうち / チャンチー

中国、山西(さんせい)省南東部の地級市。2市轄区、長治県など10県を管轄し、(ろじょう)市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口339万2000(2014)。太行(たいこう)山脈の南部を横断して華北平原に注ぐ衛河(えいが)の支流、濁(だくしょうが)水)の上流に開ける盆地に位置し、中原(ちゅうげん)を望む要地として、春秋戦国時代から各国が領有を争う所であった。秦(しん)はここに上党(じょうとう)郡を置き、漢は壺関(こかん)県、長子県などを置き、その後も上党、州、安府の中心であった。
 長治とその南の晋城(しんじょう)(沢州(たくしゅう))にかけて豊富な石炭、鉄鉱石が分布し、古くから鉄製品が生産され、とくに針や釘(くぎ)は全国でその名を知られていた。現在も製鉄、機械工業が発達している。そのほか毛織物業、酒造業も伝統的産業である。太焦線(太原(たいげん)―焦作(しょうさく))と邯長(かんちょう)線(邯鄲(かんたん)―長治)が交差する交通の要衝で、市街近くには長治王村空港がある。[秋山元秀・編集部]

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精選版 日本国語大辞典の解説

ちょうじ チャウヂ【長治】

平安時代、堀河天皇の代の年号。康和六年(一一〇四)二月一〇日に天変のため改元、長治三年(一一〇六)四月九日に嘉承元年となる。関白は藤原忠実。出典は「漢書」の「建久安之勢、成長治之業」による。

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世界大百科事典内の長治の言及

【山西[省]】より

…(2)晋東山地 おもに東部と南東部にわたり,太行山脈を中心として北東から南西へ恒山,五台山,繫舟(けいしゆう)山,太岳山,中条山の諸山脈が走っている。すべて標高1500m以上で,山間に長治,平定,晋城,寿陽等の盆地が散在し,太行山脈中には娘子関(じようしかん),天井関(てんせいかん)(太行関)など,山西高原から華北平原に通ずる重要な峠道がある。北の内長城線には雁門関(がんもんかん),平型関等の要害があり,とくに雁門関の南北では気候と農作物に大差がみられる。…

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