…その後も橘氏はふるわず,学館院もいつしか廃滅したようで,1147年(久安3)にその再興の議が起こったときには,その跡地はすべて田になっていたといい,結局再興しなかったらしい。ただし大学別曹の権利として諸氏出身者が年1人諸国の掾(じよう)に任官する三院の年挙(ねんこ)の慣例は残り,また学館院別当の職名と若干の学館院領とは,中世にも存続していた。【土田 直鎮】。…
…学生は入院名簿を出して勧学院に入るが,盛時にはその数も多数にのぼったと思われ,元服前の幼少の小学生もいた。成績優秀な者には勧学院学問料が支給されるが,これは文章得業生に昇進する有力な資格であり,また毎年1人が諸国の掾(じよう)に任官する年挙(ねんこ)という特権も勧学院に与えられていた。これらの学生からは多数の学者や官人が出て藤原氏の勢力発展を助けた。…
※「年挙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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