学館院(読み)ガッカンイン

デジタル大辞泉 「学館院」の意味・読み・例文・類語

がっかん‐いん〔ガククワンヰン〕【学館院/学官院】

平安時代大学別曹の一。承和年間(834~848)、嵯峨天皇皇后橘嘉智子とその弟の氏公が、橘氏一門の子弟教育のために設立した施設

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精選版 日本国語大辞典 「学館院」の意味・読み・例文・類語

がっかん‐いんガククヮンヰン【学館院・学官院】

  1. 平安時代、大学別曹の一つ。承和年間(八三四‐八四八)に嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子が子弟の経書学習のために学舎を開いたのが始め。康保元年(九六四)、大学寮別曹となる。橘氏子弟の教育と官界進出に役立てられた。のち衰微し放置されたが名称だけは長く続いて室町末期に至るまでその別当職と領する荘園伝領された。長官(別当)には、橘氏長者等が任じ、院領管理した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「学館院」の意味・わかりやすい解説

学館院
がっかんいん

平安時代橘(たちばな)氏のための大学別曹(べっそう)。学官院とも書く。嵯峨(さが)天皇の皇后橘嘉智子(かちこ)が兄の右大臣氏公(うじきみ)(783―848。薨伝(こうでん)では弟)と図って、承和(じょうわ)(834~848)年中に、右京四条の北、西大宮の西にあった淳和(じゅんな)院の中に学舎を開いて、橘氏出身者に経書を読み習わせた。964年(康保1)好古(よしふる)が藤原氏勧学院に準じて、大学別曹とすることを願い許された。橘氏出身の学生が寄宿し、蔵書で学び、大学に通った。橘氏の不振により衰え、別当職も橘氏の氏長者(うじのちょうじゃ)から九条家に移った。まもなく廃止されたらしく、1147年(久安3)後白河(ごしらかわ)法皇がこの院の再興を命じたときには、その地は耕田になっていたという。しかし、学館院別当職と学館院領とは中世まで存続していた。

[大塚徳郎 2017年9月19日]

『桃裕行著『上代学制の研究』(1947・目黒書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「学館院」の意味・わかりやすい解説

学館院 (がっかんいん)

平安時代の橘氏の子弟のための教育施設。学官院,学宦院とも記す。檀林皇后橘嘉智子が弟の右大臣橘氏公(うじきみ)とはかって建てたもので,一族の大学生の寄宿勉学のために,承和年間(834-848)の末年ごろ設立したと思われる。場所は右京二条西大宮辺であったというが,その規模や活動の状況は不明である。その後,橘氏は衰えたので,学館院が大学寮付属の寄宿施設として公認され,大学別曹となったのもはるかに遅れて964年(康保1)のことであった。その後も橘氏はふるわず,学館院もいつしか廃滅したようで,1147年(久安3)にその再興の議が起こったときには,その跡地はすべて田になっていたといい,結局再興しなかったらしい。ただし大学別曹の権利として諸氏出身者が年1人諸国の掾(じよう)に任官する三院の年挙(ねんこ)の慣例は残り,また学館院別当の職名と若干の学館院領とは,中世にも存続していた。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「学館院」の解説

学館院
がっかんいん

学宦院・学官院とも。橘氏の氏院(うじのいん)。嵯峨太皇太后橘嘉智子(たちばなのかちこ)と右大臣橘氏公(うじきみ)の姉弟が,847年(承和14)以前に橘氏の学生(がくしょう)のために創立し,964年(康保元)橘好古(よしふる)らの奏状で大学別曹として公認された。所在は平安京右京3条1坊16町という。橘氏の学生は学館院に寄宿し,大学に登校して授業をうけ,各種の任官試験をうけたり,年挙(ねんきょ)によったりして官界に入った。職員には別当以下があり,橘氏一門から寄付された荘園・封戸(ふこ)などを財源として運用したのであろう。1147年(久安3)にはすでに荒廃しており,同年に復興計画がたてられたが中止となったらしい。学館院別当の職,年挙,学館院領荘園は中世まで存続した。

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百科事典マイペディア 「学館院」の意味・わかりやすい解説

学館院【がっかんいん】

平安初期,橘氏が子弟のためにたてた私学。学官院などとも記す。嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(かちこ)とその弟右大臣氏公(うじきみ)が建設。964年大学別曹(べっそう)となったが,橘氏の衰微とともに衰えた。
→関連項目橘嘉智子

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「学館院」の意味・わかりやすい解説

学館院
がくかんいん

橘氏一族の大学寮学生のための学寮。京都四条北,大宮の西に位置し,平安時代初期,嵯峨天皇の皇后橘嘉智子と弟の右大臣氏公とが議して設けたのに始る。長官には橘氏の氏長者がなり,学館院領を管轄した。村上天皇の御代に大学別曹となったが,橘氏の衰退とともにすたれた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「学館院」の解説

学館院
がくかんいん

平安初期,橘氏の大学別曹
9世紀前半,嵯峨天皇の皇后橘嘉智子 (かちこ) (檀林 (だんりん) 皇石)と弟右大臣氏公 (うじきみ) とがはかって創設。964年大学別曹として公認されたが,橘氏の衰微とともに衰え,その管理は藤原氏に移り,名のみの存在となった。

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世界大百科事典(旧版)内の学館院の言及

【大学別曹】より

…大学寮の南に近接して設けられたものは,大学寮南曹とも呼ばれた。大学別曹には,和気氏の弘文院,藤原氏の勧学院,橘氏の学館院,源氏など王氏の奨学院がある。別当,知院事などの職員が置かれ,いずれも各氏族の財源によって運営された。…

※「学館院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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