日本歴史地名大系 「幸生銅山」の解説 幸生銅山さちゆうどうざん 山形県:寒河江市幸生村幸生銅山[現在地名]寒河江市幸生葉(は)山の西方、黒盛(くろもり)山・三合(さんごう)山・大滑(おおすべ)山の水を集めて流れる熊野(ゆうの)川上流の両岸に広がっていた銅山。天和二年(一六八二)幸生村名主才三郎が見立て、大坂の商人泉屋(住友)吉左衛門が金主として山役運上一〇分の一を上納して稼行した。その後銅山は休山したが、寛政四年(一七九二)柴橋代官池田仙九郎が隣山永松(ながまつ)銅山(現最上郡大蔵村)を見分した際村方に探鉱を命じた。同六年幸生村利七・長次郎の二人が手先に取立てられ大切沢で鉱脈を発見、当銅山が再興された。銅山は幕府代官による直接経営で、寛政六年から天保二年(一八三一)までの出銅合計は三六三万一千二六一斤余であった(「幸生銅山記」西村山郡史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by