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長次郎 ちょうじろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

長次郎
ちょうじろう

[生]永正13(1516)
[没]文禄1(1592).京都
室町~安土桃山時代の陶工。楽焼始祖,楽家の1世。名は長祐,長次郎は通称。初め佐々木氏,のち千利休から田中姓を受けた。天正7 (1579) 年頃から利休の指導によって黒釉あるいは赤褐釉のかかった茶碗を制作。豊臣秀吉にも愛されて聚楽第内でも製陶を行い,聚楽焼と称した。その活動については伝説的な諸説がある。なお楽姓を称するのは2世常慶以後である。

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デジタル大辞泉の解説

ちょうじろう〔チヤウジラウ〕【長次郎】

[1516?~1592?]室町末期から桃山時代陶工。楽焼(らくやき)の始祖。千利休の指導を受け、聚楽第(じゅらくだい)で制作したので聚楽焼といわれ、楽印を拝領してからは楽焼とよばれた。

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百科事典マイペディアの解説

長次郎【ちょうじろう】

楽家の初世,またその手になる茶碗を指す。1516年京都に生まれたといわれるが,不明。父は朝鮮あるいは中国の渡来人阿米夜(あめや)と称する陶工で,その業をついで天正年間に楽焼(らくやき)を創始したと伝える。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長次郎 ちょうじろう

?-? 戦国-織豊時代の陶工。
阿米夜(あめや)の子という。京都の楽焼の宗家,楽家の祖。千利休(せんの-りきゅう)の指導で黒・赤茶碗をつくる。聚楽第(じゅらくだい)の窯でやいたのが楽焼の名の由来。代表作として利休が所持,あるいはえらんだとつたえられる「長次郎七種」の茶碗が著名。千利休の旧姓をえて田中を称したともいわれ,また2代長次郎の存在の可能性も指摘されている。天正(てんしょう)17年(1589)ごろ死去。京都出身。名は長祐。

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朝日日本歴史人物事典の解説

長次郎

生年:生没年不詳
桃山初期の楽焼の陶工。楽家の初代とされている。手捏ねで成形し,低火度釉をかけ内窯で焼く「楽焼」で,千利休の好みにより赤茶碗,黒茶碗などを焼いた。長次郎の没年については,元禄1(1688)年の『宗入文書』「楽焼系図」,「覚」に「辰の年まで百年ニ成」とあるところから,天正17(1589)年ごろと考えられる。同文書によれば長次郎は「あめや」「比丘尼」の子とされ,「あめや」は「元祖飴也」ともあり,その出身は朝鮮,中国の両説があるが,楽常慶,道入とも親交のあった本阿弥光悦の言行を記した『本阿弥行状記』に「楽焼の事,飴屋長次郎が親は中華の人なり」とあり,また楽焼の釉法が中国南部の交趾焼に共通するところから,中国人の可能性が高い。『宗入文書』には,楽2代とされてきた常慶が,長次郎の舅とされる宗味と共に田中宗慶の子とされ,それぞれの年齢などから2代長次郎の存在の可能性も指摘されている。長次郎の作としては,「天正二春 長次良 依命造之」と彫られた獅子瓦があり,その技法が赤楽と共通するところから,天正2年には赤楽の技法が確立していたと考えられる。茶碗については『松屋会記』天正14年10月13日条に「宗易形ノ茶ワン」がみえ,これが千利休の指導による楽茶碗と考えられており,また『天王寺屋会記』の天正7年「赤色之茶碗」,天正8年「ハタノソリタル茶碗」が山上宗二,千利休の茶会にみえており,これらを初期の楽茶碗とする説もある。天正14年以降の茶会記には「今焼茶碗」がしばしば登場するが,これらは,長次郎や宗慶,宗味,常慶など複数の陶工によって運営されていた窯の作と考えられている。「長次郎」の代表作としては千利休が所持,あるいは選んだと伝えられる「長次郎七種」と呼ばれる茶碗があるが内,外の別があり,内は「大黒」「東陽坊」「臨済」「木守」「鉢開」「早舟」「検校」,外は「雁取」「閑居」「太郎坊」「横雲」「小黒」「一文字」「聖」がある。<参考文献>林屋晴三「長次郎」(『日本陶磁全集』20巻)

(伊藤嘉章)

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうじろう【長次郎】

京都楽家(田中姓)の初世とされる陶工,またその作になる茶碗をいう。1516年(永正13)京都に生まれたとする説もあるが,明らかではない。楽焼(らくやき)の創始は千利休の創意によるもので,天正年間(1573‐92)中ごろには長次郎によって作られたとされている。伝世する作品は意外に多く,黒楽,赤楽の茶碗を主に飾瓦,香炉,皿,焙烙(ほうろく)などがあるが,ことに茶碗では作行きの違いによっていくつかのタイプに分けられる。

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大辞林 第三版の解説

ちょうじろう【長次郎】

1516~1589) 安土桃山時代の陶工。楽長次郎。楽焼の祖。千利休の指導のもとに侘茶わびちやにふさわしい今焼茶碗を製作。代表作は、利休が選んだといわれる長次郎七種茶碗。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長次郎
ちょうじろう

生没年不詳。室町末期から桃山前期(16世紀)の陶工。京都楽焼(らくやき)の祖。わびの茶の湯が成立し、その美意識にかなう国産の茶碗(ちゃわん)が求められる当時の風潮のなかで、千利休(せんのりきゅう)に指導され、鉛釉のかかった黒楽・赤楽茶碗をつくりあげた。長次郎の出自を中国あるいは朝鮮半島とする説があるがさだかではない。系譜では、「あめや」と称する人物から長次郎に受け継がれている。元禄(げんろく)元年(1688)銘記のある楽宗入の『覚』(楽家伝存文書)によると、長次郎のほかに田中宗慶(そうけい)、庄左衛門(しょうざえもん)、宗味(そうみ)、吉左衛門(きちざえもん)、常慶(じょうけい)の名が記されている。今日一般には初代長次郎、2代常慶(宗慶の子)として楽家歴代を数えている。文書から察するに、当時楽焼陶房ではこれらの人々が同じくして作陶していたと考えられる。
 長次郎は利休の要請で聚楽第(じゅらくだい)の名に由来する聚楽焼を創始し、中国華南の三彩(交趾(こうち)焼)の技術をもとに楽焼を完成させたとみられる。「聚楽茶碗」略して「楽茶碗」として先の人々と共同制作し、1586年(天正14)には宗易(そうえき)形(利休形)の茶碗を焼造し、利休の理念を具象化したものとして以後わび茶の世界で賞玩(しょうがん)された。当時美濃(みの)焼でも独自の茶碗が焼かれており、国産茶碗が急速に人気を高めた時期にあって、長次郎の活躍はその頂点に位置したといってよい。作風は内在的な強さに支えられた無作為な造形性を特色とし、代表作に黒楽茶碗「銘大黒(おおくろ)」、赤楽茶碗「銘無一物(むいちもつ)」(ともに重要文化財)がある。[矢部良明]
『林屋晴三編『日本陶磁全集 20 長次郎』(1976・中央公論社)』

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