幸阪町(読み)こうさかまち

日本歴史地名大系 「幸阪町」の解説

幸阪町
こうさかまち

[現在地名]上野市小田おた町・下幸坂しもこうさか町・新町裏しんまちうら

向島むかいじま町の西に、蔵王ざおう権現幸福こうふく寺の小丘陵があり、同地を含めてその南麓東に広がる地域。延宝四年(一六七六)同丘陵と西之丸にしのまるの間を切通し馬苦労ばくろ町より向島町までの新道一六九間が開通した(永保記事略)。向島町から幸福寺の下までの坂を幸坂とよび、九九間とあるから(統集懐録)、現在よりやや北、西之丸南之みなみの町の崖下に沿って向島町に達していたと考えられる。したがって当町は延宝四年以後に成立した町である。

幸福寺はもと西之丸台地にあり、蔵王権現も西之丸の仁木氏邸内にあったが、ともに筒井定次築城の時、現在安部あべ神社のある地に移されたと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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