広徳寺跡(読み)こうとくじあと

日本歴史地名大系 「広徳寺跡」の解説

広徳寺跡
こうとくじあと

[現在地名]那覇市首里当蔵町二丁目

円覚えんかく寺の東隣にあった臨済宗の寺。山号天竜山。天王てんのう寺の末寺。首里古地図によると北西に興禅こうぜん寺、北東に蓮小堀りんぐむいが隣接していた。弘治年間(一四八八―一五〇五)尚清王代の三司官浦添親方景明(月船忠公と号する)が私寺として創建、祖宗の位牌を奉安し廟寺とした。その後開基の僧の名も伝わらないほど衰退したため、官寺と同様に王府から任命された者が住持となった。崇禎年間(一六二八―四四)尚寧王妃が資銀を投じて重修し、霊道を住僧として再興、順治一七年(一六六〇)二世霊室に授けて隠居所とした(「球陽」尚質王一三年条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

企業の退職を希望する従業員本人に代わって退職に必要な手続きを代行するサービス。依頼者と会社の間に入ることで円滑な退職をサポートするとともに、会社への連絡などを代わりに行うことで依頼者の心理的負担を軽減...

退職代行の用語解説を読む