広根村(読み)ひろねむら

日本歴史地名大系 「広根村」の解説

広根村
ひろねむら

[現在地名]猪名川町広根・白金しろがね・つつじがおか若葉わかば

東西に広く、中央に銀山ぎんざん町を挟み込む形の村域。北は南田原みなみたはら村、南は猪淵いぶち村。中世多田ただ庄のうちで、多田院(現川西市)の応安元年(一三六八)四月八日の金堂供養棟別銭注文(多田神社文書)に「広根村 百十二家 本所マテ」とある。永和元年(一三七五)にも当村の一二五家が多田院の法花堂・常行堂・地蔵堂造営のための棟別銭を納めている(七月二五日「諸堂造営棟別銭郷村注文」同文書)。嘉吉元年(一四四一)一〇月二八日、塩川一族と思われる栢梨子平岡九郎次郎源頼宗が当村の田四段大および畠一段六〇歩、応仁元年(一四六七)一二月二七日には塩川秀満が当村岩崎いわさきの田一段をそれぞれ多田院に寄進している(「塩川秀満寄進状」同文書)

広根村
ひろねむら

[現在地名]松尾町広根

新井堀にいぼり村の北にある。江戸時代中頃までに当村などから和田わだ村・新井堀村が分れたと考えられる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高五五七石。正保二年(一六四五)の成箇郷帳并浮役勘定目録(渡辺家文書)では幕府領の高一五一石余、取米一八石余(米納一六石・永七五〇文)、浮役は永二八五文。元禄郷帳では高一七九石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数三六、幕府領と旗本青木領。領主以後変わらず幕末に至る(旧高旧領取調帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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