庭瀬城(読み)にわせじょう

日本の城がわかる事典 「庭瀬城」の解説

にわせじょう【庭瀬城】

岡山県岡山市北区にあった平城(ひらじろ)。1559年(永禄2)、備中国の三村家親が、備前国の宇喜多直家(うきたなおいえ)の侵攻に備えるため、撫川城(なつかわじょう)の曲輪(くるわ)の一部を利用して築かせたと伝えられている。1600年(慶長5)、関ヶ原の戦いの戦功によって戸川達安が入封し、城の拡充を図った。しかし、1679年(延宝7)、世継ぎがいなかったため戸川氏断絶、その後20年間は倉敷代官所の支配下に置かれた。1699年(元禄12)、板倉重高(いたくらしげたか)が入城、以降明治維新まで板倉氏が10代つづいたが、1869年(明治2)に廃城となった。現在、城跡大部分は住宅地となったが、石垣と堀を残している。JR山陽本線庭瀬駅から徒歩10分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報