日本歴史地名大系 「弘祥寺跡」の解説 弘祥寺跡こうしようじあと 福井県:福井市旧足羽郡地区金屋村弘祥寺跡[現在地名]福井市金屋町金屋(かなや)の東部、日野(ひの)川左岸の小高い山麓にあった寺。明治以後大安(だいあん)寺に併合された。現在寺跡はほとんど田地となっているが、石仏や局(つぼね)墓(俗にうばの墓とよぶ)、甘露水(かんろすい)などを残す。大冶山弘祥護国寺と号し、臨済宗妙心寺末。本尊は釈迦如来で、安居(あご)の弘祥寺とよばれた。〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉〔開山別源〕康永元年(一三四二)別源円旨を開山として朝倉広景が創建したと伝えるが、「東海一別集」の「洞春菴別源禅師定光塔銘」に、別源円旨が「康永元年、帰越足羽県、朝倉金吾、開弘祥寺基、為第一世」とあり、文中の朝倉金吾とは広景の子正景(高景)のことで、同別集の「朝倉徳岩居(正景)士小祥忌拈香」にも弘祥寺の草創を記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by