弘祥寺跡(読み)こうしようじあと

日本歴史地名大系 「弘祥寺跡」の解説

弘祥寺跡
こうしようじあと

[現在地名]福井市金屋町

金屋かなやの東部、日野ひの川左岸の小高い山麓にあった寺。明治以後大安だいあん寺に併合された。現在寺跡はほとんど田地となっているが、石仏やつぼね(俗にうばの墓とよぶ)甘露水かんろすいなどを残す。大冶山弘祥護国寺と号し、臨済宗妙心寺末。本尊釈迦如来で、安居あごの弘祥寺とよばれた。

〈近江・若狭越前寺院神社大事典〉

〔開山別源〕

康永元年(一三四二)別源円旨を開山として朝倉広景が創建したと伝えるが、「東海一別集」の「洞春菴別源禅師定光塔銘」に、別源円旨が「康永元年、帰越足羽県、朝倉金吾、開弘祥寺基、為第一世」とあり、文中の朝倉金吾とは広景の子正景(高景)のことで、同別集の「朝倉徳岩居(正景)士小祥忌拈香」にも弘祥寺の草創を記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む