改訂新版 世界大百科事典 「弥生町遺跡」の意味・わかりやすい解説
弥生町遺跡 (やよいちょういせき)
東京都文京区弥生2丁目(1963年の町名変更までは向ヶ丘弥生町2番地)の東京大学の敷地北東端から根津に面した崖際にある弥生時代の遺跡。向ヶ丘貝塚とも呼ばれる。1884年,後の東京大学工学部教授有坂鉊蔵が,地表から一部露出していた1個の壺形土器を採集し,縄文土器とはようすの違う土器として,94年ころからこの土器を町名にちなんで弥生式土器と呼び,いつしかこの名が定着した。この壺の出土地点は,その後の地形改変でわからなくなっていた。1975年,東京大学構内浅野地区東端の崖際で弥生時代後期の貝塚が発掘されたことから,ここがかつての〈向ヶ丘貝塚〉の一部,またはそれに接近した場所であるともみられている。この地点は76年〈弥生二丁目遺跡〉として国史跡に指定された。
執筆者:工楽 善通
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報