ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「張廷玉」の意味・わかりやすい解説
張廷玉
ちょうていぎょく
Zhang Ting-yu; Chang T`ing-yü
[没]乾隆20(1755)
中国,清朝中期の政治家。安徽省桐城県の人。字は衡臣。号は碩斉,澄懐堂主人。諡は文和。康煕帝に寵愛された張英の次子。康煕 39 (1700) 年に進士に合格し,父の威光で同 42年翰林院検討を授けられてから中央政界の高官に次々と就任。雍正帝が即位すると礼部尚書,戸部尚書に抜擢され,雍正4 (26) 年に文淵閣大学士,次いで文華殿大学士,保和殿大学士を歴任,同7年に少保を加えられると,雍正帝の漢人相談役として重用された。雍正帝が没するとき,オルタイ (鄂爾泰)とともに遺詔を受けて乾隆帝の輔政の臣となり,漢人としては異例の三等伯の爵位を賜わり,また雍正帝に合祀することを許された。廷臣の漢人は張廷玉につき,満人はオルタイについて2派に分れるほどに勢力を有した。乾隆 13 (48) 年老齢をもって辞職を願い出たことから帝の怒りを受け,伯爵の位を削られた。著書に『澄懐園語』がある。また彼の子の張若靄 (ちょうじゃくあい) も乾隆帝の寵愛を受けたが,同 11年に 34歳で没している。
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