当山久三(読み)トウヤマ キュウゾウ

20世紀日本人名事典 「当山久三」の解説

当山 久三
トウヤマ キュウゾウ

明治期の自由民権運動家 沖縄県議。



生年
明治1年11月9日(1868年)

没年
明治43(1910)年9月17日

出生地
琉球国金武(沖縄県)

学歴〔年〕
沖縄師範卒

経歴
明治26年郷里の金武小学校長となるが、薩摩出身の郡長の沖縄蔑視に業を煮やし、28年校長を辞め並里総代(のちの村会議員)となり、開墾村民啓蒙尽力。のち東京に留学を決意して、30年東京淀橋小学校長に就任、進学の準備を整えた。しかし謝花昇上京し、県知事奈良原繁治下での沖縄の窮状を聞き帰郷、謝花らと民権運動に挺身する。弾圧により運動が挫折した後、ハワイへの移民運動に活路を求めて農民救済に尽力。42年初の県会議員選挙に最高点で当選した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「当山久三」の解説

当山久三

没年:明治43.9.17(1910)
生年:尚泰21.11.9(1868.12.22)
近代沖縄の移民の父と称される人物。沖縄本島北部の金武の農家に生まれ,師範学校を出て教師となった。国頭郡長と対立して教職を辞め上京,そのころから移民問題に関心を持つ。沖縄社会の改革を目指す謝花昇と出会いその運動に参加したが,運動の挫折後は移民問題に本格的に取り組んだ。明治32(1899)年に沖縄初の海外移民をハワイに送り出し,第2次のハワイ移民(1903)の際には自ら現地に赴き実情を視察した。このとき,詠んだ「いざ行かむ 吾等の家は五大州」は沖縄移民の合言葉となった。その後も移民会社の代理人となって各地に移民を送り出し,財をなした。酒造業にも進出し,県会議員に当選するなど成功を収めた。現在,世界各地に約25万人の沖縄系移民がいるが,その移民県沖縄の基礎を築いた人物として知られる。<参考文献>湧川清栄『沖縄民権の挫折と展開』

(高良倉吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「当山久三」の解説

当山久三 とうやま-きゅうぞう

1868-1910 明治時代の教育者,社会運動家。
尚泰王21年11月9日生まれ。生地の沖縄県金武(きん)村で教職につく。明治31年上京するが,翌年帰郷して謝花(じゃはな)昇らと民権運動を展開。奈良原繁県知事の弾圧で運動は挫折,以後ハワイへの移民運動をすすめ,県移民の父とよばれる。明治43年9月17日死去。43歳。沖縄尋常師範卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「当山久三」の解説

当山 久三 (とうやま きゅうぞう)

生年月日:1868年11月9日
明治時代の民権運動家
1910年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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