コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

謝花昇 じゃはなのぼる

8件 の用語解説(謝花昇の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

謝花昇
じゃはなのぼる

[生]慶応1(1865).9.28. 東風平
[没]1908.10.29. 東風平
沖縄における自由民権運動の中心的指導者。中農の家に生れ,沖縄県からの最初の県費留学生として,帝国農科大学 (東京大学農学部) に入学。卒業後,技師として沖縄県庁に就職。のち,時の奈良原県知事の施政と対立,辞職して知事の暴政を批判した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

じゃはな‐のぼる【謝花昇】

[1865~1908]自由民権運動家。沖縄の生まれ。東大卒業後、沖縄県庁に就職。開墾地問題などで奈良原繁知事と対立し辞職。その後、知事の暴政批判と参政権獲得運動を展開した。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

謝花昇【じゃはなのぼる】

沖縄県の行政官・社会運動家。島尻郡東風平(こちんだ)村の農家に生まれる。1882年第1回県費留学生として上京,1891年帝国大学農科大学卒業。帰郷して県技師に任命され高等官となり,農業技術の指導や,貢糖制度の廃止に尽力。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

謝花昇 じゃはな-のぼる

1865-1908 明治時代の社会運動家。
尚泰王18年9月28日生まれ。沖縄県技師,高等官になり,「沖縄糖業論」をあらわすなど県農業の改革をすすめる。県知事の奈良原繁と対立。明治31年上京し,沖縄倶楽部(クラブ)を結成,機関誌「沖縄時論」で奈良原県政批判,参政権要求の運動を展開。奈良原の弾圧で運動は挫折。不遇のうちに明治41年10月29日死去。44歳。琉球(沖縄県)出身。帝国大学卒。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

謝花昇

没年:明治41.10.29(1908)
生年:尚泰18.9.28(1865.11.16)
近代沖縄を代表する社会運動家。沖縄本島南部の東風平の農家に生まれた。このため「クチンダジャハナー(東風平謝花)」の通称が生まれる。利発で向学心旺盛な少年だったらしく,選ばれて開学直後の沖縄師範学校に入学,その後,第1回県費留学生として上京する。東京山林学校などを経て帝国大学農科大学に進学し,横井時敬の下で農学を修め帰郷する。沖縄人初の高等官待遇の技師として県庁入りした彼は,県民の羨望の的となった。当時の沖縄は奈良原繁知事の下で,王国時代以来の旧慣諸制度を廃止し,本土並みの制度に改正するためのさまざまな事業が行われていたが,謝花はそれらの改革事業の先頭に立って仕事をすることとなった。 だが,事業の実施に際して特権層・有力者層優先の事業である点に疑問を感じ,知事や首里の守旧派としだいに対立を深めるようになった。県を辞めて下野し,当山久三などの同志を募って沖縄倶楽部を結成,『沖縄時論』を発行(1899)して「平民的進歩主義」を主張する。杣山(官有山林)の民有化,共有金をめぐる不正の追及,参政権の要求など謝花らは県民利益の擁護を求めて運動した。これに対して知事・守旧派は徹底的な攻撃を加えた。対立は明治33(1900)年の沖縄県農工銀行役員改選で正念場を迎えたが,沖縄倶楽部はここで決定的な敗北を喫した。運動の挫折後,謝花は失意のうちに県外に職を求め,新しい任地山口に赴く途中,神戸駅で発狂する。その後は故郷東風平で病苦と貧困の中で暮らし,狂人のままその生を終えた。「沖縄の自由民権運動」の主導者として喧伝されてきたが,本土の民権運動とは時代・性格を異にする。広い視野から沖縄糖業の在り方を論じた著作『沖縄糖業論』を残している。<参考文献>親泊康永『義人謝花昇伝』,新川明『異族と天皇の国家』

(高良倉吉)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

じゃはなのぼる【謝花昇】

1865‐1908(慶応1‐明治41)
沖縄県の民権運動家。島尻郡東風平(こちんだ)村の農家に生まれ,1882年第1回県費留学生(5人中4人が士族)に選ばれて上京,農科大学(現,東京大学農学部)を首席で卒業した。この間,中江兆民のもとに出入りし,木下尚江幸徳秋水らと接し,自由民権運動の影響を受け,沖縄県技師に就任した。92年に沖縄県知事となった奈良原繁が農民共有の杣山(そまやま)を官有化し,その農耕適地を有禄華士族・県外や外来の大商人・上級官吏に払い下げる政策を強行したことに反対運動を組織したが弾圧され,98年に憲政党内閣への知事更迭の働きかけが挫折したあと辞職。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

じゃはなのぼる【謝花昇】

1865~1908) 自由民権運動家。沖縄県生まれ。東大卒。沖縄県庁に在任中、官有山林の開墾と払い下げ問題で知事、奈良原繁と対立して辞職。知事の暴政批判と国政参加運動を展開した。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

謝花昇
じゃはなのぼる
(1865―1908)

近代沖縄の代表的な社会運動家。慶応(けいおう)元年9月28日、沖縄県島尻(しまじり)郡東風平間切(こちんだまぎり)(八重瀬(やえせ)町)の農家に生まれる。1881年(明治14)創立まもない沖縄県師範学校に入学、翌82年第1回県費留学生に抜擢(ばってき)され上京した。学習院から東京山林学校、東京農林学校を経て帝国大学農科大学に学んだ。沖縄最初の学士として帰郷した謝花は高等官待遇で県庁入りし、他府県出身者が官界・教育界・経済界で幅をきかせていた当時の沖縄にあって、新時代のエリートとして県民の尊敬を集めた。大学で学んだ近代農学に立脚し、いまだ前近代的状況下にあった県農業の改革に乗り出し、精力的な活動を展開、糖業の近代化、農業技術の改良などの面で大きな足跡を残した。『沖縄糖業論』(1896)は糖業近代化の指針を示した名著である。
 しかし急進的な改革を求める謝花は「琉球(りゅうきゅう)王」の異名をとる時の県知事奈良原繁(ならはらしげる)としだいに対立を深め、さらに『琉球新報』(1893創刊)に拠(よ)って巻き返しを図る旧支配層とも対立するに至った。農業を中心とする産業の近代化や振興を図るためには県政の刷新こそ急務と考えた謝花は、1898年官職を辞して下野、同志とともに沖縄倶楽部(クラブ)を結成した。機関誌『沖縄時論』を発行して「平民的進歩主義」を鼓吹するとともに、反奈良原、反閥族のキャンペーンを展開、また、杣山(そまやま)民有化の主張、共有金問題の追及、参政権の要求など自らの立場を力説して奈良原一派、旧支配層と対決した。これに対して奈良原一派、旧支配層は謝花らの運動に激しい攻撃を加え、両者の対立は1900年(明治33)の沖縄県農工銀行重役改選問題でピークに達した。謝花はこの選挙で完敗、同志も四散して運動は瓦解(がかい)した。財産をも使い果たしていた彼は、職を求めて沖縄を去り、新任地山口県に向かう途中神戸駅で精神に異常をきたし、変わり果てた姿で帰郷した。以後は病苦と貧窮に悩まされ、郷里東風平で世捨て人のような生活を送り、明治41年10月29日、この世を去った。彼が主導した運動を「沖縄の自由民権運動」と評価する研究者が多い。[高良倉吉]
『新川明著『琉球処分以後 下』(1981・朝日新聞社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の謝花昇の言及

【沖縄[県]】より


[沖縄自由民権]
 明治10年代の自由民権運動の基本綱領は,国会開設(国家構想),地租軽減,条約改正であった。明治30年代の謝花(じやはな)昇とその同志によって推進された県政改革運動は,特に〈沖縄の自由民権運動〉と位置づけられ,評価されてきた。謝花昇の運動と本土の自由民権とは,当然のことながら内容,質的に差違がある。…

【東風平[町]】より

…近年,那覇市のベッドタウンとして,宅地化が進んできた。沖縄自由民権運動の先駆者謝花昇(じやはなのぼる)の出身地で,その銅像がある。県の文化財に指定されている石彫の大獅子(17世紀後半)がある。…

※「謝花昇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

謝花昇の関連キーワード摩文仁沖縄本島運動家宜野湾大里〈村〉沖縄県中頭郡北中城村具志頭〈村〉東風平〈町〉豊見城〈村〉安里清信

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

謝花昇の関連情報