朝日日本歴史人物事典 「役藍泉」の解説
役藍泉
生年:宝暦1(1751)
江戸中期の修験者,儒者。本姓島田氏,名は観,字は道甫,通称右京,藍泉または興山と号し,修験道の祖役小角の流れをくむと称して役を姓とした。周防国(山口県)徳山教学院の住持にして安永期,徳山藩校鳴鳳館の教授になる。儒は徂徠学を奉じ,学派を同じくする福岡の亀井南冥とは終生友誼をもった。修験者らしい身の軽さと奔放な気風をもって子弟を訓育。儒仏の哲学的思弁性にとどまらないその実社会への憤激は「万里の長城を築き旗鼓自ら任ずる」ごとき威勢で『大道公論』なる政治論となり,豪邁な南冥さえもその発表を思いとどまらせたほどであった。詩文集『興山集』には忠実な古文辞の徒としての技量がうかがえ,防長に南冥の学を波及させた功績は大きい。<参考文献>荒木見悟「亀井南冥研究―亀井南冥と役藍泉」(『九州儒学思想の研究』)
(宮崎修多)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報