明治時代の仏教学者。周防(すおう)(山口県)徳山藩の人。文政(ぶんせい)10年12月28日生まれ。幼名は円真、如縄道人(にょじょうどうにん)、暁華懺士(ぎょうかせんし)、懺翁(せんおう)道人、天心居士(てんしんこじ)、月竹(げっちく)道人などと称した。初め天台宗本山派修験道(しゅげんどう)教学院住職を務め、のち藩主の命により興譲館(こうじょうかん)の教授となる。1872年(明治5)教部省設置に際し大録(だいろく)に招かれてのち、内務省社寺局、内閣記録局などを歴任。この間、正確で携帯便利な蔵経開版を発願し、福田行誡(ふくだぎょうかい)らの協力を得て縮刷大蔵経(だいぞうきょう)を刊行した。また育児院の創設、聖徳太子の奉賛にも尽くした。明治40年9月2日示寂。
[金田諦応 2017年7月19日]
(武田道生)
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