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島田蕃根 しまだ ばんこん(みつね)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

島田蕃根 しまだ-みつね

しまだ-ばんこん

島田蕃根 しまだ-ばんこん

1827-1907 幕末-明治時代の仏教学者。
文政10年11月8日生まれ。役藍泉(えんの-らんせん)の孫。周防(すおう)(山口県)徳山の天台宗本山派修験道(しゅげんどう)教学院の住職。維新後,還俗(げんぞく)して徳山藩校興譲館の教授となる。のち教部省,内務省社寺局などに出仕福田行誡(ぎょうかい)らと「縮刷大蔵経」を刊行した。明治40年9月2日死去。81歳。名は「みつね」ともよむ。法名は円真。

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朝日日本歴史人物事典の解説

島田蕃根

没年:明治40.9.2(1907)
生年文政10.11.8(1827.12.25)
明治時代の仏教学者。活字版『大日本校訂縮刻大蔵経』を出版した。周防(山口県)徳山出身。「みつね」ともいう。家は代々天台宗本山派修験道の行者で,仏教,儒教,神道を深く学び儒家らとの親交も深かったため,幕末徳山藩主の命により京畿に赴き勤皇説を唱える。維新後,廃藩置県に尽力したのち上京し,教部省内務省社寺局を歴任し明治初期の宗教行政の確立に努めた。明治12(1879)年福田行誡,獅岳快猛らと共に,『大蔵経』刊行を企画する。弘教書院を設立し,高麗版を底本として宋・元・明版を対校した厳密な校訂の通称『縮刷大蔵経』(縮刷蔵,縮蔵とも)を5年かけて刊行した。

(武田道生)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

島田蕃根
しまだばんこん

[生]文政10(1827)
[没]1907
明治の教育者。仏僧出身。『大日本校訂縮刻大蔵経』 (『縮刷大蔵経』ともいう) を刊行した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

島田蕃根
しまだばんこん
(1827―1907)

明治時代の仏教学者。周防(すおう)(山口県)徳山藩の人。文政(ぶんせい)10年12月28日生まれ。幼名は円真、如縄道人(にょじょうどうにん)、暁華懺士(ぎょうかせんし)、懺翁(せんおう)道人、天心居士(てんしんこじ)、月竹(げっちく)道人などと称した。初め天台宗本山派修験道(しゅげんどう)教学院住職を務め、のち藩主の命により興譲館(こうじょうかん)の教授となる。1872年(明治5)教部省設置に際し大録(だいろく)に招かれてのち、内務省社寺局、内閣記録局などを歴任。この間、正確で携帯便利な蔵経開版を発願し、福田行誡(ぎょうかい)らの協力を得て縮刷大蔵経(だいぞうきょう)を刊行した。また育児院の創設、聖徳太子の奉賛にも尽くした。明治40年9月2日示寂。[金田諦応]

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