後河原町(読み)うしろがわらまち

日本歴史地名大系 「後河原町」の解説

後河原町
うしろがわらまち

[現在地名]山口市大字後河原の全域と中河原なかがわら町の一部

いちさか川に沿う両岸の町で、北は上宇野令かみうのりよう村のみずうえ町、南は南流する一ノ坂川が西方に流れを変える辺りまでで、中河原町に続く。古くは東岸を東後河原、西岸を西後河原と称し、北より上後河原かみうしろがわら中後河原なかうしろがわら下後河原しもうしろがわらと分ける場合もある。

町名は、大内館を中心として町の後ろの河原という地理的な命名と思われる。伊勢神宮の御師が信者への守札を配った時の覚である中国九州御祓賦帳の享禄五年(一五三二)分に、「山口うしろかハら玉蔵院」「山口うしろかハら若江大郎左衛門殿」とある。

山口古図によれば一ノ坂川東側は武家町で番町であったらしい。北から水ノ上町の町家に続いて三番丁・四番丁・五番丁・六番丁・七番丁と続き、そのすべてが家中町であった。四番丁には冷泉氏、五番丁には大和氏、六番丁のたて小路側には吉見氏、中央には鷲頭氏の名がみえる。三番丁と四番丁の間の横通は、大内御殿(築山館)北側(裏側)の通りであるが、町名の記入はない。一ノ坂川を渡った西側には、伊勢小路いせしようじの名がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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