後狩詞記(読み)のちのかりことばのき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「後狩詞記」の意味・わかりやすい解説

後狩詞記
のちのかりことばのき

柳田国男(やなぎたくにお)の著書。日本民俗学の草創期における古典的作品として知られる。1910年(明治43)3月初版本が出て、のち、1951年(昭和26)10月、実業之日本社より覆刻された。ほぼ同時期に刊行されている『石神問答(いしがみもんどう)』『遠野(とおの)物語』と並ぶ名著の一つとされる。宮崎県東臼杵(ひがしうすき)郡椎葉(しいば)村という伝統的山村で行われていた狩猟伝承の実態を記した内容で、狩ことば、狩の作法のほかに、「狩之巻」を付録として収載している。明治時代中期以後、鉄砲が普及したため狩猟の方法が大きく変化した。柳田国男は、鉄砲を用いなかった時代の山村の生業としての狩猟の古伝を椎葉村長から口頭文献によって聞き出し、貴重な資料集にまとめた。本書には、近代以前の日本の山村の実情がよく伝えられている。

[宮田 登]

『『後狩詞記』(『定本柳田国男集27』所収・1964・筑摩書房)』

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百科事典マイペディア 「後狩詞記」の意味・わかりやすい解説

後狩詞記【のちのかりことばのき】

柳田国男の著書。1909年刊。1908年著者が宮崎県椎葉(しいば)村で村長中瀬淳から狩の故実を聞書きしたもの。題名は《群書類従所収の《狩詞記》(就狩詞少々覚悟之事)に由来。日本民俗学最初の採集記録といわれ,1951年著者の喜寿記念に覆刻。

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世界大百科事典(旧版)内の後狩詞記の言及

【椎葉[村]】より

…1930年代まで焼畑にヒエ,アワ,豆類を作り,いもなどにたよる生活がいとなまれ,木材,木炭,シイタケなどの林産が多くなったのは谷底に道路が開かれた比較的新しい時期である。 住民には那須(奈須),椎葉姓が多く,平家の落武者の伝説があり,神楽や民謡の伝承されたものも多く,ことにイノシシ,シカを対象とした狩猟習俗は柳田国男の《後狩詞記(のちのかりことばのき)》(1909)に報告されて西日本の山村民俗研究の扉を開くものとなり,焼畑耕作に伴う民俗とともに稲作文化に属さない日本人の生活をあとづける上で高く評価される資料を保持してきた。しかしながら歴史的には中世末まで小土豪の内部抗争が激しかったために,江戸幕府の成立後武力討伐をうけて多くの住民が刑死または離散しているので,社会組織や信仰の面では必ずしも古い伝承がそのまま維持されてきたとは認められない。…

【柳田国男】より

…さらにその年の秋には岩手県遠野出身の佐々木喜善(1886‐1933)から遠野地方に伝承されるさまざまなふしぎな話を聞き,魅惑された。この二つの体験を,それぞれ《後狩詞記(のちのかりことばのき)》(1909),《遠野物語》(1910)の2書にまとめ,民俗学の研究に踏み込むこととなった。初期の柳田国男の研究は,水田稲作に基盤をおく定住農耕民ではなく,山間奥地に住み狩猟や焼畑農耕に従事する山人(やまひと)や山間を移動する木地屋(きじや)のような職人集団に関心をもち,彼らの独自の文化を明らかにしようとしたものであった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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