改訂新版 世界大百科事典 「狩猟伝承」の意味・わかりやすい解説
狩猟伝承 (しゅりょうでんしょう)
狩猟に従事する人々が仲間の慣行あるいは習俗として前世代の指導者から受け継ぎ,あるいは自己の世代の体験や知識として次代の青年たちに教えこんできた行為,信条,知識などの総称。現代の狩猟免許法は,この種の知識の有無にかかわらず一定の技術水準に達していればだれでも狩猟することを認めており,またそれらの人々はこれらの伝承をおしなべて迷信としてしりぞける風潮が強くなってきたので,その大半は急速に消滅に向かいつつある。しかしながら,たとえば集団狩猟で得た獲物の配分は,いまだに参加者に平等に分け,任務による多少の差異がないのが全国一般である。これをタマスと称し,特別な場合,たとえば猪の場合のとどめの弾丸を射た者,鹿の場合に最初に傷つけた射手に対しては,それぞれトメヤ,ショヤと称して多少の増分もしくは牙,角などの名誉の表現となる品を与える。これは鹿はわずかでも傷を受けるとたちまち逃走力が鈍って捕らえられやすいが,猪は傷に対する抵抗力が強く捕獲が容易でないためで,実はきわめて合理的な処置といえる。また,犬を用いる狩りでは,犬に対しても1人分のタマス(イヌダマス)を与え,平常は仲間に加わる者が何かの故障で急に参加できない場合,これにも1人分を配当する場合もあり,狩猟社会における古い慣行が獲物の均等分配であったらしいことを推測させる。狩猟伝承の意味はこのような人類の活動の基本につながる。
狩りは道具や技術もさることながら,予期しえない偶然や動物生態,天候,地形,植生などの条件に左右されやすいために,人に神秘感を与え獲物の多少を神霊の力や個々の運勢によるものと考えさせる場合が多かった。そのために山の神に対する信仰や縁起をうんぬんすることが伝承として多くかぞえられる。たとえば出産・死亡についての謹慎事項が多く,家族・親族にこれにかかわる者があると不猟であるばかりか,大きな事故にあうとして忌まれる。また,山の神は女性であるとして女性が狩りの準備にかかわったり,銃に触れたりまたいだりすることを嫌う。家を出がけに妻と口論することや弁当の菜として梅干しを持参すること(スモドリ=素戻り)などは獲物がないとして,現在の猟師にも忌む者が少なくない。また,縁起がよいとして獲物に命中した弾丸の鉛を回収し,新しい弾丸を鋳るときこれを混ぜるとまた命中するといって実行する者もある。これをシャチダマ(幸弾か)と呼んでいる。そのほか不猟のときに祈禱師にたのんで銃におはらいあるいは祈禱をしてもらうとか,猟に出かけるのによい日や方角を占うことも行われた。さらに山中では禁句とすべき言葉(忌言葉(いみことば))や,サル,イタチ,ネコ,ヘビなどという名称を別の言葉に言い換える習慣があって,杣(そま)人たちと類似の言葉が多かった。これらは山中あるいは山小屋で用いることをつつしんだので,それらの動物に一種の霊力を認めていた結果らしい。山小屋ではそのほか,正座すること,拍手すること,謡をうたうこと,笛を吹くことなどが禁じられたが,これらの多くもそれが神を祭るための行動であって,不時にそうした行為を行うことが山の神をまねき降ろすこととなることを恐れたものであるらしい。このことも杣と類似している。大型の哺乳類である熊やカモシカ,猪,鹿などをとった場合には,その毛・肉・内臓の特定の一部を山の神に捧げて感謝すること,ならびにその解体を一定の作法によって行い,定まった儀式と唱えごとによって野獣霊を慰める狩猟儀礼も,1920年代までは全国で多少形は異なるが伝承されてきた。
そのほか山の犬,一匹猿など特定の動物をとらないこと,奇怪な動物や不思議な事象にあった言い伝え,狩りの名人の伝記,入ってはならない山林などについての伝承なども以前には存在していたが,その多くは現在は断片化し,また忘失・変形してしまった場合がまれではない。
→狩猟
執筆者:千葉 徳爾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報