得成寺(読み)とくじようじ

日本歴史地名大系 「得成寺」の解説

得成寺
とくじようじ

[現在地名]富岡市相野田 幡峰

相野田あいのたの北の山麓に南面してある。真言宗豊山派、小町山祥真院と号し、本尊は不動明王。小野小町の開基と伝える。小町が諸国行脚の折当地に立寄り、病にかかって庵を設けて修行、庵を小町山普済ふさい寺といった。貞応元年(一二二二)心全が開山となったという。徳川綱吉の生母桂昌院が身ごもったとき、侍女の勧めで当寺の亮賢に胎児の性別を占わせ、男児出生の祈祷をさせたところ綱吉が生れた。綱吉の代に相野田・わらび両村で朱印地三〇石を賜り、七日市藩二代藩主の前田利豊から寺領九反歩を寄付された(宝暦九年「亮賢僧正伝記」)小桑原こぐわはらの小桑観音の傍らに、かつて能信のうしん坊という当寺の隠居寺があり、亮賢もいたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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