日本歴史地名大系 「得重保」の解説 得重保とくしげほ 愛知県:西春日井郡西春町得重保皇室領。得重の地名は、現在西春町徳重(とくしげ)および名古屋市緑区鳴海(なるみ)町徳重の二ヵ所にある。確証は欠くが前者に比定する見解が多い。当保は初め国衙領で、醍醐(だいご)寺三宝(さんぼう)院の管理下にあり、地頭職は中院家であったが(中院文書)、貞治二年(一三六三)八月一八日付足利義詮御教書(醍醐寺文書)により、当保に禁裏料所が置かれた。この際臨川(りんせん)寺三会(さんえ)院(現京都市)に替地が与えられていて、かつて当保が同寺領であり、その支配には守護土岐頼康が関与していたことが知られる。同年九月、義詮は三宝院光済に自筆書状を送り、当保の公用などの取沙汰を依頼したき旨を伝えたが、応安七年(一三七四)には光済の当保知行を安堵する後円融天皇綸旨が出された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by