御室焼(読み)オムロヤキ

デジタル大辞泉 「御室焼」の意味・読み・例文・類語

おむろ‐やき【御室焼】

江戸初期、京焼の大成者、野々村仁清が、京都御室仁和寺門前に窯を開いて焼いた陶器仁清焼にんせいやき

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精選版 日本国語大辞典 「御室焼」の意味・読み・例文・類語

おむろ‐やき【御室焼】

  1. 〘 名詞 〙 京都の仁和寺門前で、正保一六四四‐四八)ごろから野々村仁清が焼きはじめた陶器。元祿初年(一六八八頃)で絶えたが、その優麗典雅な陶風は京焼の手本となった。仁清焼。おもろやき。
    1. [初出の実例]「まへには折節の菓子、御室(オムロ)やきの茶椀に宇治名物をたてて」(出典仮名草子・都風俗鑑(1681)一)

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世界大百科事典(旧版)内の御室焼の言及

【京焼】より

…しだいに銹絵(さびえ)や染付なども併用し,瀬戸の緑釉(織部釉)や交趾(こうち)釉,七宝釉,色楽釉などを用いて,京焼色絵陶器の先駆的なものが作られた。これらの陶技が集大成され,京焼の存在が広く知られるようになるのは,野々村仁清による〈御室(おむろ)焼〉の出現によってであった。仁清は1656‐57年(明暦2‐3)ごろから本格的な色絵陶器を焼造した。…

【陶磁器】より

…この色絵磁器は有田以外では17世紀後半,わずかに広島県の姫谷,石川県の九谷において一時的な焼造をみたが,いわゆる古九谷(九谷焼)は,色絵の豪放さやその絵画的表現によって,近世陶磁の中でも異彩を放っている。 一方,京都では天正年間から始まった楽焼に加え,慶長末年から元和年間にかけて(1610~20年代),東山山麓で粟田口(あわたぐち)焼,清水焼など美濃系の陶器生産が始められていたが,明暦年間(1655‐57)から野々村仁清による御室(おむろ)焼が始まり,その優雅・華麗な色絵陶器は京都の公卿を中心とする上層階級の間でもてはやされた。しかし,その需要層の狭さから元禄(1688‐1704)ころには衰微し,その影響を受けた尾形乾山によって琳派の装飾性を豊かに表現した雅陶が焼かれたが,正徳年間(1711‐15)には廃窯となり,清水焼,粟田口焼が京焼の主流を占めるようになった。…

【仁和寺】より

…金堂は国宝,五重塔,御影堂,二王門,中門,観音堂などは重要文化財,庭園は池泉回遊式で飛濤亭(ひとうてい),遼廓亭(りようかくてい)の茶室(いずれも重要文化財)がある。 寛永再建のころ,野々村仁清が当寺門前辺に窯を開き,仁清窯また御室焼と呼ばれて公家,社寺,武家,上層町衆に好まれたことは有名である。江戸後期には大内山の西の成就山に四国八十八ヵ所霊場をうつして,御室八十八ヵ所として庶民信仰を集め,現在も参詣者が多い。…

【野々村仁清】より

…野々村清右衛門といい,丹波国野々村(現,京都府北桑田郡美山町)の出身といわれる。若くして瀬戸,美濃,京都粟田口などで陶法を学び,1647年(正保4)ころ御室(おむろ)仁和寺門前に御室焼をはじめた。明暦年間(1655‐58)には仁和寺の〈仁〉と清右衛門の〈清〉の字を合わせて〈仁清〉と称し,製品に〈仁清〉の銘印を捺(お)した。…

※「御室焼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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