御船 千鶴子
ミフネ チヅコ
明治期の超能力者
- 生年
- 明治19(1886)年
- 没年
- 明治44(1911)年1月19日
- 出生地
- 熊本県宇土郡松合村
- 学歴〔年〕
- 鶴城学館卒
- 経歴
- 漢方医の二女に生まれる。小学校を卒業後、陸軍歩兵中尉と結婚するが、間もなく離婚。姉の夫で催眠術に興味を持っていた清原猛雄の誘導で透視術を獲得したといわれ、熊本出身の代議士・安達謙蔵の秘書婦人が海水浴中に紛失したダイヤを見つけ出したり、石炭層探査のため有明海の海底を透視して、万田抗を発見するなど評判を呼んだ。明治43年9月上京し、東大の文科、医科、理科の9博士の前で透視を実験。その実験は半ば成功、半ば失敗に終わったが、以後約半年間、“四里眼”や“天眼通”などと呼ばれ、世間を騒然とさせた。翌44年1月服毒自殺した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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御船千鶴子
没年:明治44.1.19(1911)
生年:明治19(1886)
明治時代の透視能力者。千里眼婦人として騒がれた。熊本県宇土郡生まれ。父は御船秀益。陸軍中尉と結婚したが,姑との折り合いが悪く1カ月後に離婚。義兄清原猛雄に精神修養を勧められ,深呼吸を続けて無我の境地に入る訓練を繰り返しているうちに透視能力に開眼。明治42(1909)年ごろから千里眼の噂が広まり,翌年京都帝大の今村新吉,東京帝大の福来友吉が熊本を訪れ,さまざまの実験を試みた。『東京日日新聞』などが大きく報道して評判を呼び,井上哲次郎らの立ち会いのもとに公開実験が東京で行われ,金属製の筒に収めた文字の透視に成功したが,44年1月18日重クロム酸カリを飲み,翌日死亡した。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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御船千鶴子 みふね-ちずこ
1886-1911 明治時代の超能力者。
明治19年7月17日生まれ。15歳ごろから透視能力で評判になる。超心理学を研究していた東京帝大助教授福来(ふくらい)友吉に注目され,明治43年東京で数度の公開実験がおこなわれた。学者や新聞から疑問視され,明治44年1月19日自殺。26歳。熊本県出身。鶴城学館卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の御船千鶴子の言及
【福来友吉】より
…岐阜県高山市に生まれ,1899年東京帝国大学卒業後,同大学でW.ジェームズを中心に心理学を講ずる。催眠の研究を続けるが,1910年[透視]の存在を知り,御船(みふね)千鶴子(1886‐1911)を対象に透視の研究を開始。同年11月長尾郁子(1871‐1911)の透視能力を研究中,透視目標にした未現像の写真乾板にカブリが見られ,そのことから念写([心霊写真])の可能性を推定,翌12月長尾を対象に最初の念写実験を行い,センセーションをまきおこした。…
※「御船千鶴子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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