御請新田(読み)おうけしんでん

日本歴史地名大系 「御請新田」の解説

御請新田
おうけしんでん

寛文一二年(一六七二)江戸の町人五兵衛・喜兵衛らが請負い、北原川きたはらがわ(現袋井市)から移住した久兵衛や市右衛門らの手によって開墾された東榛原ひがしはいばら筋一四ヵ村内の新田。延宝五年(一六七七)の御請新田年貢割付状(田中家文書)では東榛原筋一四ヵ村として高二五石余。同七年の年貢割付状(同文書)では東榛原筋一五ヵ村として合せて高二〇八石余に増加している。両割付状では駿州青島あおじま筋三ヵ村(上青島村・細島村・道悦島村)と並記され、新田請として五兵衛・喜兵衛とある。元禄九年(一六九六)の年貢割付状(同文書)には「榛原郡江戸町人御請新田」とあり、吉永よしなが村分高五石余・吉永利右衛門よしながりえもん分高三斗余・吉永高よしながたか新田分高七斗余・下江富しもえどめ村分高二〇石余・中島なかじま村分高一七石余・西島にしじま村分高三石余・相川あいかわ村分高九石余・上泉かみいずみ村分高一一石余と源助げんすけ新田(現藤枝市)分高一八石余の九ヵ村が記される。


御請新田
おうけしんでん

[現在地名]島田市東町ひがしちよう

細島ほそじま村のうちに大小十数ヵ所の飛地として交錯している。細島村内に残されていた荒地が開発されて成立。元禄五年(一六九二)の御請新田開発覚書(田中家文書)によれば、寛文一〇年(一六七〇)江戸商人の七兵衛、遠州久津部くつべ(現袋井市)の惣兵衛ら四人が青島あおじま(現藤枝市)と細島村の村内や地先の荒地・芝地の新田開発を申請して許可されたが、翌年には請人は江戸商人五兵衛ら三人に交替し開発に着手した。貞享元年(一六八四)検地が行われ、高三四三石余の御請新田として立村した。しかし度重なる大井川の出水被害によって開発は進展せず、元禄初年頃に新たに遠州の田中久兵衛・伊藤市右衛門が請人となり開発を進め、急速に成果をあげた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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