細島村(読み)ほそじまむら

日本歴史地名大系 「細島村」の解説

細島村
ほそじまむら

[現在地名]上平村細島

菅沼すがぬま村の東、庄川右岸の河岸段丘に位置する。対岸葎島むくらじま村への籠渡しは籠綱の総長三九間、うち一〇間は両詰巻留間数、二九間は籠通用間数。藤切人足・籠綱打立引渡人足は四八人ほど、うち四四人ほどは当村、四人ほどは葎島村(五ヶ山籠渡覚「十村宅左衛門覚書」寿川区有文書)。東は小原おはら村へ一六町余、菅沼村へは一二町余(村々道程駄賃付「十村宅左衛門覚書」同文書)。南・北は山が峡谷状に迫る。当村から籠渡しで葎島村へ渡り、上梨かみなし(現平村)から鹿熊かくま峠へ登りほお峠までの道のりは二里六町余(前掲駄賃付)

細島村
ほそじまむら

[現在地名]利賀村細島

上畠うわばたけ村の北、利賀川左岸の川縁に位置する。東も西も川の両岸から険しい山地となる。天文二一年(一五五二)一〇月二七日の五箇山衆連署申定(生田家文書)の「利賀谷」のうちに細嶋三郎左衛門尉の名がみえる。正保郷帳蓬生よもぎおう(北島村)と併記されて村名がみえ、合せて高六五石余、田方二反余・畑方四町一反余。慶安(一六四八―五二)初年蓬生村は山崩れのため亡村となり、その後の再開墾に際し当村から入百姓して、北島きたじま村を再興し併せて新開高三石余が細島村に付された(「菊池旧記」菊池家文書)

細島村
ほそじまむら

[現在地名]島田市東町ひがしちよう・細島

道悦島どうえつじま村の東、大井川左岸低地に立地する。村内に御請おうけ新田の飛地を抱えている。「駿河記」に寛永(一六二四―四四)頃は青島あおじま(現藤枝市)の内とある。慶長年中(一五九六―一六一五)の大井川洪水により川成地となった芝地が開発され成立したとみられる。慶安二年(一六四九)の駿河国高付(志太郡誌)には青島村の内の頭注で、細島新田とみえ、田方五六石余。このあと青島村から分村したようで、元禄郷帳には細島村とみえ、高五四九石余。国立史料館本元禄郷帳によると幕府領。正徳二年(一七一二)には田中藩領(土岐頼殷領知目録)

細島村
ほそじまむら

[現在地名]豊岡村壱貫地いつかんじ

天竜川下流にあった輪中集落で、南は壱貫地村。慶長一二年(一六〇七)免定(河合家文書)があり、高九三石一斗二升、うち七二石六斗七升川成。松平忠頼領郷村帳によると皆畑で一二町六反余。浜松藩領であるが、寛永一四年(一六三七)頃の同川洪水で一村流亡した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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