御館山(読み)おたてやま

日本歴史地名大系 「御館山」の解説

御館山
おたてやま

[現在地名]大江町貫見

貫見ぬくみの東にある標高四三四メートルの山地で、寒河江氏一八代大江高基の終焉の土地であり、高基と三家臣の墓がある。松林があり貫見一帯の展望がよくきく。天正一二年(一五八四)高基は最上義光に攻められ、中野なかの(現山形市)で迎え撃った。三日間にわたる激しい戦闘ののち最上軍の勝利となり、高基は甥の松田彦次郎のもとに走り、貫見の館に拠ったが、最上軍の追及は厳しく、御館山に登って、家臣の入間右衛門介・高屋新右衛門・溝谷又十郎とともに自刃した。従臣一二名は麓にある標高三〇〇メートルの要害で最上軍の追撃を防いだが、高基自刃の後いずれも自害した(「安仲坊系図」安仲坊大江文書)。従臣のうち林源太左衛門は月布つきぬの村、安彦吉内は沢口さわぐち村の住人で、貫見村の近くに居を構える家臣が多かった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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