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藤原公実(読み)ふじわらの きんざね

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原公実 ふじわらの-きんざね

1053-1107 平安時代後期の公卿(くぎょう),歌人。
天喜(てんぎ)元年生まれ。藤原実季(さねすえ)の長男。母は藤原経平の娘睦子。承暦(じょうりゃく)4年(1080)参議,のち正二位,権(ごんの)大納言。三条大納言とよばれる。妻光子が堀河・鳥羽(とば)両天皇の乳母,妹苡子(いし)が鳥羽天皇の生母となったため,宮廷に勢力をきずいた。堀河院歌壇の有力者で,「後拾遺和歌集」以下の勅撰集に57首がはいる。嘉承(かじょう)2年11月14日死去。55歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

藤原公実

没年:嘉承2.11.14(1107.12.29)
生年:天喜1(1053)
平安末期の公卿,歌人。大納言藤原実季と藤原睦子(経平の娘)の子。伯母茂子が白河天皇の母,妹苡子が鳥羽天皇の母,さらに妻藤原光子(隆方の娘)が堀河・鳥羽両天皇の乳母など,天皇家との深い結び付きにより栄進,権大納言・正二位に至る。鳥羽天皇の即位に伴い,外戚として摂政を望んだが果たせなかった。若いころから歌才に優れ,白河院・堀河院両歌壇の指導的な役割を果たし,「堀河院艶書合」や「堀河百首」の作者となる。美男であったようで,笛や琴の嗜みもないのに笛を腰に差し琴爪を伸ばしていても妙な気取りにはみえなかったという。子の実行は三条家,通季は西園寺家,実能は徳大寺家のそれぞれ始祖となった。<参考文献>井上宗雄『平安後期歌人伝の研究』

(渡辺晴美)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典内の藤原公実の言及

【摂関家】より

…藤原氏北家出身の良房が初めて摂政となり,ついでその嗣子基経が摂政・関白になって以来,この嫡流の子孫が相ついで摂関に補任された。平安時代末,鳥羽天皇の践祚に当たって,天皇の外戚であった大納言藤原公実が,外戚でない摂政はいないとして,前代の関白だが外戚関係がない藤原忠実を退けてみずから摂政に就任しようとしたが,代々摂籙の子孫でない者が摂政になった例はないとしてその願いを排した。以来,天皇と外戚関係はなくとも,代々摂政・関白の子孫が摂政・関白に補任されることになり,鎌倉時代の初め,摂関家が,近衛,九条,二条,一条,鷹司の5家に分立したのちも,摂政・関白はこの五摂家より必ず補任されることになった。…

【大和魂】より

…藤原忠実が藤原の氏長者(うじのちようじや)として,白河院を中心とする勢力に対抗し,摂関家の威信を高めようとしてその結果,保元の乱が起こったことなどをも考えあわせると,〈やまとだましい〉とは,皇室をも敵に回して対峙する摂関家の政治的能力の属性でもあったともいえよう。 第5の例は《愚管抄》巻四で,著者慈円は摂関家の家筋でもない藤原公実が,ただ鳥羽帝の外舅であるとの理由だけで摂政になりたがったことを非難し,公実が和漢の才に富み,知足院殿(藤原忠実)よりも人柄や〈やまとだましい〉がまさっていて,見識ある人からも賢者といわれた藤原実資などのように思われることもあったのだろうか,と述べている。〈やまとだましい〉が摂関家に固有の精神的属性という面のあったことがうかがわれる。…

※「藤原公実」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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