国指定史跡ガイド 「徳島藩主蜂須賀家墓所」の解説
とくしまはんしゅはちすかけぼしょ【徳島藩主蜂須賀家墓所】
徳島県徳島市にある墓所。徳島藩主蜂須賀家墓所は、興源寺(こうげんじ)(下助任(しもすけとう)町)と万年山(まんねんやま)(佐古山町)の2ヵ所にある。興源寺は歴代蜂須賀家の菩提寺で、徳島城跡の北方約0.9km、吉野川の河口近くに位置する。藩主墓所は築地塀で囲まれ、北側に濠をめぐらした約1万2000m2の敷地に、藩祖家政(いえまさ)など歴代藩主夫妻の墓が立ち並んでいる。墓は大型の花崗岩製で、五輪塔、無縫塔(むほうとう)(卵塔形墓碑)、櫛形塔の3形式。なかでも2代藩主忠英(ただてる)の無縫塔は高さ4.24mの巨大なもので、この形式では日本有数の大きさといわれる。10代藩主重喜(しげよし)が祭祀を儒法に改めたため、10代から13代は遺髪を納めた墓である。墓所は現在、助任緑地公園として公開されている。眉山(びざん)丘陵の万年山にある藩主墓所は、儒教に傾倒した10代藩主重喜があらたに蜂須賀家墓所と定めた儒葬墓地である。墓域は東西約320m、南北約780m、中腹に結晶片岩の岩盤に碑文を刻んだ、高さ約3m、幅約8mの「阿淡二州太守(あたんにしゅうのたいしゅ)族葬墓域」の石碑がある。1780年(安永9)、隠居していた8代藩主宗鎮(むねしげ)が埋葬されたのが最初で、10代重喜から13代斉裕(なりひろ)、神仏折衷方式で埋葬された最後の藩主14代茂韶(もちあき)の墓がある。仏葬から儒葬へ転換した特異な大名家墓所として、2002年(平成14)に国の史跡に指定された。興禅寺へは、JR高徳線ほか徳島駅から市営バス「助任小橋」下車、徒歩約2分。万年山墓所へは、同駅から市営バス「佐古五番町」下車、徒歩約7分。