儒葬(読み)ジュソウ

デジタル大辞泉 「儒葬」の意味・読み・例文・類語

じゅ‐そう〔‐サウ〕【儒葬】

儒教儀式に基づく葬式

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精選版 日本国語大辞典 「儒葬」の意味・読み・例文・類語

じゅ‐そう‥サウ【儒葬】

  1. 〘 名詞 〙 儒教の儀式によって葬ること。儒教による葬式。
    1. [初出の実例]「儒葬(ジュサウ)の法はいかやうなる事なれば朱文公先生の家礼義節にくはしくのべ給へり」(出典仮名草子智恵鑑(1660)七)

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改訂新版 世界大百科事典 「儒葬」の意味・わかりやすい解説

儒葬 (じゅそう)

儒教式の葬祭(葬式と祭祀)をいう。遺体を火葬でなく土葬にすることと遺族が喪に服する期間が長いことを特色とする。儒教では陰陽説によって魂(精神)は天に上り陽に従い,魄(白骨)は地に降り陰に従うとされる。このため遺体は土中に埋め,魂を別に神主しんしゆ)(位牌)へまつりこめる。日本では近世以降に儒教の排仏思想が強まるにつれて葬祭も仏式でなく儒式に改めるべきだという主張のもとに儒葬が行われ始めたが,当時幕府宗門改めと寺請制度により実際には仏葬が強制されていたこともあって,儒葬を実行する範囲はごく限られていた。最初に儒葬を行ったのは土佐藩の野中兼山で,1651年(慶安4)に母の秋山氏を土葬にして3年の喪に服した。ついで水戸藩の徳川光圀が彼に仕えた儒学者朱舜水(しゆしゆんすい)の意見を聞き,《文公家礼》を基にして《喪祭儀略》を作成し領内での普及を図ったが,光圀の死後,幕府の宗教統制に反することを恐れて再び仏葬に戻された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「儒葬」の意味・わかりやすい解説

儒葬
じゅそう

江戸時代儒者が行なったとむらいの儀式。儒者が僧侶専門職になっていた葬式に反発し,中国,宋の学者朱子が編集した『家礼』を基にして制定したもので,林羅山,野中兼山から始ると伝えられる。江戸では禁じられていたが,京都,会津などで行われ,また徳川光圀が行なったという。

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