志々墓保(読み)ししづかほ

日本歴史地名大系 「志々墓保」の解説

志々墓保
ししづかほ

原鹿はらしかの地に所在した中世の所領。文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳の四番に「志々墓保廿丁七反三百歩持明院殿」とみえる。地頭としてみえる持明院殿は後深草上皇の子で、のちに伏見天皇となる人物(建治元年立太子)と推定される。秋鹿あいか伊野いの(現平田市)とともに、当保が持明院殿の所領となった経過は不明だが、乾元元年(一三〇二)以降のものとみられる室町院領目録(八代恒治氏旧蔵文書)によると「武家所進地頭職」として志々塚上方・同下方がみえ、当保が上方と下方に分れていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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