日本歴史地名大系 「志久見村」の解説
志久見村
しくみむら
[現在地名]栄村大字堺
志久見川西岸及びその上流
現中野市から
志久見の初見は寿永三年(一一八四)醍醐禅師全成下文(市河文書)に「志久見山」とある。志久見村の村域は、鎌倉時代初期から中世末まで千曲川東南方に存在した志久見郷に属する(→志久見郷)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
志久見川西岸及びその上流
現中野市から
志久見の初見は寿永三年(一一八四)醍醐禅師全成下文(市河文書)に「志久見山」とある。志久見村の村域は、鎌倉時代初期から中世末まで千曲川東南方に存在した志久見郷に属する(→志久見郷)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新