志度庄(読み)しどのしよう

日本歴史地名大系 「志度庄」の解説

志度庄
しどのしよう

現志度町志度を遺称地とし、一帯に推定される。「玉葉」治承五年(一一八一)七月二四日条に「法眼(慈円)志度庄事、示付静賢了、最勝光院領也」とあり、詳細は不明であるが当時すでに京都最勝光さいしようこう院領であったことが知られる。同寺は後白河院の女御建春門院滋子の御願寺として承安二年(一一七二)に建てられ、後白河院から寺領寄進されている。正中二年(一三二五)の最勝光院寺領目録(東寺百合文書)によれば、当時の領家は後深草中宮藤原公子で、年貢は米三〇石、七月御八講と建春門院月忌法事の際に要する綾の被物二重で、「十月兵士十人三人分」を出すことになっていた。注記に嘉禄二年(一二二六)最勝光院が焼亡したのち、被物以外の上納はなくなり、近年はまったく無沙汰の状態になっているとあり、すでに同院領としては有名無実化していたといえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の志度庄の言及

【志度[町]】より

…間川地区と大串半島の観光開発も進んでいる。【赤池 享一】
[歴史]
 志度寺の創建は9世紀ごろといわれているが,地名としては1213年(建保1)に〈志度庄〉として出てくるのが初出である。室町時代には志度寺は讃岐守護細川氏より寺領を安堵された。…

※「志度庄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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