日本歴史地名大系 「志摩国分寺跡」の解説
志摩国分寺跡
しまこくぶんじあと
志摩半島の東部で外洋に面した志摩国府推定地である
「類聚三代格」出挙条に収載の天平一六年(七四四)七月二三日の詔により、尾張国の正税四万束の出挙の息利が国分寺僧尼両寺の造寺用にあてられていたことが知られ、「延喜式」(主税寮)には、伊勢国の正税と公廨各々三〇万束と三河国の正税と公廨各々二〇万束から、それぞれ修理料三千束があてられること、講読師の安居・法服・布施・供養には尾張国の正税をあて、読師の料と正月の最勝王経の転読会には三河国の正税をあてる規定がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報