思託(読み)したく

改訂新版 世界大百科事典 「思託」の意味・わかりやすい解説

思託 (したく)

奈良・平安初期の律・天台兼学の僧。生没年不詳。鑑真門人。唐の沂州の人。俗姓王氏。開元寺に住し,のち天台山に入り,玄宗の勅により仏門に入り,鑑真より受戒,律・天台を学んだ。鑑真が日本渡航をくわだてた当初から行動を共にし,754年(天平勝宝6)2月に平城京に入り,東大寺客坊に身を寄せた。同年4月の聖武上皇などの授戒にも鑑真をたすけてことに当たり,戒壇院における授戒にも従事した。ことに旧戒を堅守した僧に四分律の本旨を説き,唐僧道璿(どうせん)の依頼をうけて大安寺唐院で忍基らのために律を講じ,平城右京の新田部親王(?-735)旧宅に唐招提寺を創建するにあたって,普照とともに鑑真にすすめ,鑑真の唐招提寺移住に従って同寺に移った。神護景雲年間(767-770)西大寺の八角大塔のモデルを造った。その著に鑑真の行状を精記した《大和上鑑真伝》や《大唐伝戒師僧名記》,延暦年間(782-806)に撰した《延暦僧録》があったが,今日逸文しか伝わっていない。763年(天平宝字7)5月に鑑真が遷化すると〈傷大和上伝灯逝日本〉の五言詩を作ったことが,淡海三船撰の《唐大和上東征伝》によって知られる。
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朝日日本歴史人物事典 「思託」の解説

思託

生年:生没年不詳
奈良時代の律宗の渡来僧。唐の沂州の出身で俗姓王氏。鑑真に師事して律・天台を受学し,鑑真に従い苦難の末に天平勝宝6(754)年正月に来日。師を助けて戒律弘宣に努め,唐招提寺の建立にも尽力した。師の功をのちに伝えるため鑑真の伝記を著し,また日本最初の僧伝である『延暦僧録』10巻を著したことで有名である。<著作>『大唐伝戒師僧名記大和上鑑真伝』3巻<参考文献>『日本高僧伝要文抄』3巻,義澄『招提千歳伝記』中,蔵中進「思託―渡来僧の生涯文学―」(『唐大和上東征伝の研究』)

(佐伯昌紀)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「思託」の解説

思託 したく

?-? 唐(とう)(中国)の僧。
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)5年(753)師の鑑真(がんじん)とともに来日。師をたすけて戒律の普及につとめ,唐招提寺の建立にもつくす。鑑真の伝記「大唐伝戒師僧名記大和上鑑真伝」や日本最初の僧伝「延暦僧録」をあらわした。沂州(ぎしゅう)出身。俗姓は王。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の思託の言及

【延暦僧録】より

…鑑真に従って来た唐僧思託の著した僧伝。788年(延暦7)の撰述で,本文5巻,目録1巻。…

※「思託」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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