戒の語源はサンスクリット語のシーラśīlaで、「習慣、性質、行為」などを意味するが、さらに「良い習慣、道徳的行為」にも用いられるようになり、仏教用語としての戒の概念が成立した。戒は、仏陀(ぶっだ)の教えを実践し解脱(げだつ)の境地を願う者が自己自身に対して課する倫理的徳目であり、道徳に近い語である。
戒と併用される律は同じサンスクリット語のビナヤvinayaに由来し、仏教では「修行僧の遵守すべき規則」の意味である。戒が自発的な行為の規準であるのに対し、律は僧院生活者を拘束する法律に等しい。したがって語義のうえでは厳密には戒と律は区別されるが、戒(仏教者の心がまえ)によって律(僧院規律)が成り立つところから、「戒律」の語が使われるようになった。
ユダヤ教のトーラーtōrāh(律法)、イスラム教のシャリーアsharī‘ah(律法)、あるいはカトリックの「修道戒律」、仏教・道教(どうきょう)の「清規(しんぎ)」など、戒・律に類するものは多くの宗教にみられ、一般にはこれらをすべて含めて戒律と通称している。
[赤池憲昭]
戒律の原初形態をタブーにみる考え方がある。タブーは特定の対象や行為が超自然的性質をもち、それを犯せば処罰が加えられるという観念に基づく。タブーのもつ禁止と制裁の威力は、原始社会における社会的統制と個人の欲望の抑圧に強力な役割を果たした。つまりタブーには法律ないし道徳の萌芽(ほうが)的原理が含まれている。タブーが分化しその呪術(じゅじゅつ)性が克服されるに伴い、戒律が生まれ、さらに世俗的な法律、道徳へ発展したと考えられている。
[赤池憲昭]
仏教の実践論の骨格は、戒(かい)、定(じょう)、慧(え)である。戒の実践を通じて定(精神の統一)を得、定の体得により慧(涅槃(ねはん))に至る。戒は解脱への入り口として位置づけられている。解脱を志すすべての者にとって、戒は自律的な行動原則であり日常生活の戒めであるが、仏教教団の展開とともに出家(しゅっけ)者、在家(ざいけ)者(在俗のまま仏教に帰依(きえ)したもの)の区別が固定化し、出家者には戒を基本とするさまざまの律が設けられるようになった。仏滅後の第三結集(けつじゅう)において、従来の慣行や規範が整理集成され、戒律の体系である『律蔵(りつぞう)』が成立する。在家者には「不殺生(ふせっしょう)、不偸盗(ふちゅうとう)、不邪淫(ふじゃいん)、不妄語(ふもうご)、不飲酒(ふおんじゅ)」の五戒、半月に3回断食(だんじき)・禁欲を勧める八斎(はっさい)戒などが制度化され、出家者に対しては、沙弥(しゃみ)・沙弥尼(に)の十戒、比丘(びく)の二百五十戒、比丘尼の三百四十八戒などの修行規則が設けられた。比丘・比丘尼の守る戒を具足(ぐそく)戒という。完全な戒律の意味である。現在のタイ、ミャンマー(ビルマ)、スリランカなどの仏教は、戒律を重視する上座(じょうざ)仏教の流れに属する。
一方、大乗(だいじょう)仏教の興起に伴い、出家・在家の別をなくした戒中心の修行体系が発展する。大乗の菩薩(ぼさつ)が守るべき戒として菩薩戒があり、悪をとどめ、善を修め、他の人々のために尽くすことを内容としている。三聚浄戒(さんじゅじょうかい)ともいう。この戒を説く教典は数多いが、『梵網(ぼんもう)経』の梵網戒と『瑜伽(ゆが)論』の瑜伽戒が代表的である。十善戒、十重禁戒なども同一の範疇(はんちゅう)に入る大乗戒である。しかし大乗戒はとかく出家集団の修道を軽んずる傾向を生みやすく、これの歯止めとして出家生活の規定が要望された。その代表的なものが「清規」である。中国における『百丈清規』、道元(どうげん)の『永平(えいへい)清規』が著名である。
[赤池憲昭]
ユダヤ教の律法とは『旧約聖書』の「モーセ五書」をさす。なかでも「モーセの十戒」(「出エジプト記」20章1~17節、「申命(しんめい)記」5章6~21節)として知られる部分が律法の中核である。前半四つは神に対する人間の義務、後半六つは人間関係の倫理規定である。仏教の戒が自己の主体的選びであるのに対し、律法は神ヤーウェとイスラエル民族との契約であり、遵守には恩恵が、違反には報復が予定される。神と民族との契約観念は選民思想をはぐくみ、神政政治さらには規格化した信仰生活を強制する律法主義を生んだ。
イエスは律法主義を排し福音(ふくいん)による神の救済を説いた。律法は神の前での人間の生き方を示しており、神の恩寵(おんちょう)への感謝として守るべきものであるというのがイエスの主張である。律法の意味づけを契約から感謝へと転換したことにより、キリスト教は民族の枠を超えて世界宗教への道を開いた。キリスト教のローマ国教化と並行し、厳しい修徳を求める修道者が生まれ、禁欲生活のための修道戒律がつくられる。『ベネディクトゥス戒律』(539制定)が名高い。
[赤池憲昭]
中国仏教の影響を受けて道教の教団にも清規がつくられる。全真教(ぜんしんきょう)の『全真清規』などである。内容は罰則を中心としている。イスラム教の律法は、神の意志に基づきイスラム教徒の共同体を規制する法である。律法は世俗的な法の規準でもあり、宗教秩序と社会秩序とを不可分のものとしているところに特色がある。
[赤池憲昭]
宗教用語の一つ。教団内部の諚として,一般法や道徳律に先んじて,教団構成員を拘束し,救済の基本条件となる。原始仏教では,戒(シーラśīla)と律(ビナヤvinaya)を分けるのが普通で,律は教団の規則を意味し,男僧250条,尼僧348条の禁制条項を指す。仏滅後の教団で,経典とは別の律蔵として,成文化された。三宝に帰依して,出家した以上,律蔵の受持ちは絶対で,犯せば追放の厳罰を含む,種々の制裁をうけるが,そうした持律精神は,必ずしも出家に限らず,在家信者にも求められるから,律蔵の条項にかかわらぬ,仏教徒の内面性を問うところに,新しい大乗の戒律思想が生まれる。六波羅蜜の第2,戒波羅蜜がそれである。とくに大乗のみをうける中国仏教では,すべての大乗経典を律蔵とする立場から,〈声聞の持戒は菩薩の破戒〉という徹底した精神主義をとり,一心戒や無相戒の創出へと進む。
インド仏教では,戒律はすべての仏教徒の必須条件である。これを宗派とする独立の意識はない。民俗習慣,気候風土のちがう中国社会では,律蔵の規定を文字どおりに実行することが困難で,しだいに異なった解釈の発生と内面性を問う傾向を強め,中国仏教にふさわしい戒経を求めるとともに,大乗経典すべてを律蔵とする,新しい戒律思想を生む。律蔵そのものの研究を中心とする律宗のほかに,法華経による天台宗や,華厳経による華厳宗,教外別伝の禅宗で,それぞれ独自の戒律を説くのであり,奈良時代の初めに鑑真が日本に伝えた律宗は,そんな中国仏教の一つである。このとき初めて,日本人の出家受戒が可能となるが,それは特定の宗派への入門に限らないから,やがては法華経による大乗円頓戒の独立へと発展し,いっさいの禁制的性格を捨てる,独自の戒律創造への道を開くこととなる。破戒比丘や名字比丘を前提とする浄土真宗の開創はその成果の一つで,密教の三昧耶戒や禅宗の無相心地戒にも,内容的にはほぼ同じ発想がある。なお,ユダヤ教・キリスト教における戒律に関しては〈十誡〉の項を参照されたい。
執筆者:柳田 聖山
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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戒は悪を防ぐための規範,律は教団維持のための禁制条項。両者はしだいに同一視された。日本への本格的な戒律の伝来は鑑真(がんじん)に始まり,東大寺に戒壇院をたて具足戒授戒の場とした。のち最澄(さいちょう)は具足戒を小乗戒であるとして否定し,大乗戒壇の独立を実現。簡便な大乗戒による菩薩僧の育成をめざした。以後日本では,一部に戒律復興の動きはあったが戒律の意義はしだいに低下,親鸞のように明確にそれを否定する思想もうまれた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…これに対し,修行者は入門に際し,具足戒を受けて以後,団体生活を営むについて種々規制をうけ,また犯戒すれば罰則をうける。このような教団の規制を律(戒律)と呼ぶ。律は,戒本とそれの違反に対する罰則を決める部門と,教団運営に伴う諸規則を挙げる部門とより成る。…
※「戒律」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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