日本歴史地名大系 「恩名村」の解説 恩名村おんなむら 神奈川県:厚木市恩名村[現在地名]厚木市恩名・田村(たむら)町・旭(あさひ)町一丁目・同五丁目・栄(さかえ)町二丁目・中(なか)町四丁目尼寺原(あまでらはら)台地の南東部に位置し、東は厚木村、南は温水(ぬるみず)村・大住(おおすみ)郡上岡田(かみおかた)村、西は温水村、北は戸室(とむろ)村に接する。村の北西部は尼寺原台地の一部で畑地、東南部は沖積地で水田。温水村との境界付近を恩曾(おんぞ)川が東南流し、流域の水田は、この水を引いて灌漑に利用している。小田原衆所領役帳に花之木「百十貫文 中郡恩名・及川」とある。天正一〇年(一五八二)八月二七日の北条綱成黒印状(県史三)によれば、堀内七郎右衛門尉に中郡恩名之郷二〇貫文を与えている。近世は、元禄期(一六八八―一七〇四)まで幕府・旗本領の四給、以後旗本領四給。 恩名村おんなむら 茨城県:猿島郡三和町恩名村[現在地名]三和町恩名飯沼新田(いいぬましんでん)東側台地上に位置し、西縁を東仁連(ひがしにれ)川が南流。北は江口(えぐち)新田。小字に金珠(かなくそ)があり、鞴製鉄跡の存在を示唆する。恩名観音面(おんなかんのんづら)遺跡では縄文後期の土器・耳飾・土偶・亀形土製品などが出土。北下山(きたしもやま)遺跡・古屋(こや)遺跡・新立(しんたて)遺跡はいずれも飯沼東岸台地上に存在する縄文中期から古墳時代の遺跡で、北下山遺跡では排水溝と考えられる長い溝跡、住居跡四、墳墓跡一一が発見された。七号墓は横穴古墳。同舌状台地の突端にも君の御前(きみのごぜん)塚とよばれる盛土があり石祠が存在した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by