日本歴史地名大系 「惣右衛門村」の解説 惣右衛門村そうえもんむら 埼玉県:戸田市惣右衛門村[現在地名]戸田市笹目(ささめ)一―四丁目・笹目南町(ささめみなみちよう)・笹目北町(ささめきたちよう)・美女木(びじよぎ)一丁目・美女木東(びじよぎひがし)四丁目新曾(にいぞ)村の西にあり、南は下笹目村枝郷早瀬(はやせ)村、北は辻(つじ)村(現浦和市)。足立郡笹目領に属した。元和年中(一六一五―二四)名主の惣右衛門により新開墾されたので当初は惣右衛門新田とよばれ、万治年中(一六五八―六一)惣右衛門村と改称したとされる。近隣からは矢口(やぐち)(谷口)という小名でよばれた(風土記稿)。正保国絵図・田園簿では惣右衛門新田、元禄郷帳では惣右衛門村とある。幕府領。 惣右衛門村そうえもんむら 静岡県:焼津市惣右衛門村[現在地名]焼津市惣右衛門北と南を一色(いつしき)村に挟まれ、北の境を栃山(とちやま)川が東流する。慶長九年(一六〇四)の大井川の洪水で荒蕪地となった一色村の地を同村の惣右衛門が再開発し、元和五年(一六一九)検地を受けて一色村新田と称した。寛文七年(一六六七)一色村から分村し惣右衛門村と改称したという(志太郡誌)。慶安二年(一六四九)の駿河国高付(志太郡誌)には一色村古新田とあり、田方一四〇石余・畑方二九石余。元禄郷帳では高三八八石余、「古は一色村古新田」と注記される。国立史料館本元禄郷帳では田中藩領、以後幕末まで同藩領。元禄一一年(一六九八)の村明細帳(増田家文書)では高二七一石余、上田・上畑はなく田畑屋敷合計三一町九反余、地頭林一町三反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by