戸田市(読み)トダシ

デジタル大辞泉 「戸田市」の意味・読み・例文・類語

とだ‐し【戸田市】

戸田

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「戸田市」の解説

戸田市
とだし

面積:一八・一七平方キロ

県南東部に位置し、荒川(旧入間川)左岸に発達した沖積低地上にある。同川は西部では北西から南東へ流れ、南部ではほぼ東西に流路をとる。北は浦和市・蕨市、東は川口市、荒川を隔てて南は東京都板橋いたばし区・きた区に、西は朝霞市・和光市に接する。平均標高は約四メートルで自然堤防とその後背湿地からなる。後背湿地にはかつて水田が広がっていたが、近年は埋立が進み、住宅地などに変貌している。市域東を国道一七号、西を同バイパスが南北に縦貫し、西を東京外郭環状道路が東西に、首都高速道路がバイパス上を南北に走っており、交通の要衝ともなっている。昭和六〇年(一九八五)九月には東北新幹線に併設されたJR埼京線が市域のほぼ中央を南北に開通、市内に三駅が設置された。また南に荒川に沿って昭和一五年に設置された静水のボートコース戸田漕艇場がある。

〔原始〕

原始・古代の遺跡は自然堤防上の低平な微高地に立地する。市域内発見の最古土器は縄文時代前期末の十三菩提式土器で、ほん町一丁目から出土している。中期には美女木びじよぎ付近から勝坂式土器や阿玉台式土器の破片が、後期になると市の西端に位置する道満どうまんから堀之内式土器や加曾利B式土器の破片が発見されている。弥生時代後期の鍛冶谷かじや新田口しんでんぐち遺跡は弥生町期の墓域として方形周溝墓から始まり、前野町期、さらに古墳時代前期(五領期)へ続く。ほかに弥生町期から平安期に至る前谷まえや遺跡がある。古墳時代前期の五領期になると方形周溝墓が折重なるように造られ、また竪穴住居も構築されるようになる。荒川を望む南方には上戸田本村かみとだほんむら遺跡・南町みなみちよう遺跡・南原みなみはら遺跡、西方には根木橋ねぎのはし遺跡があり、南原遺跡や鍛冶谷・新田口遺跡からは東海地方で盛行した欠山式土器に類似した土師器が出土している。後期になると遺跡数も少ない。南原遺跡と上戸田本村遺跡からは六世紀初頭から七世紀初頭の古墳が発見され、人物埴輪(頭部のみ)円筒埴輪の破片が出土した。また上戸田本村遺跡では、くまんづかという古墳が古くから知られており、直刀が発見されている。

〔古代・中世〕

律令制下では足立郡に属し、「和名抄」所載の足立郡の郷のうち堀津ほつと郷もしくは大里おおさと郷に含まれたとする説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「戸田市」の意味・わかりやすい解説

戸田〔市〕
とだ

埼玉県南東部,荒川の中流部左岸にある市。 1966年市制。中心市街地の戸田は近世には中山道荒川を渡る「戸田の渡し」があり,交通の要地。 1960年代以降は急速に都市化が進み,工場,住宅,倉庫が急増し,東部に鋳物,機械,金属製品,食品の工場が集中。国道 17号線の戸田橋,新大宮バイパスの笹目橋がかかり,首都東京への出入口となっている。北西部には東京外環自動車道が通り,1986年に JR埼京線が開通,市域中央を通る。南部に戸田漕艇場を中心とした戸田公園がある。面積 18.19km2。人口 14万899(2020)。

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