愚渓寺(読み)ぐけいじ

日本歴史地名大系 「愚渓寺」の解説

愚渓寺
ぐけいじ

[現在地名]御嵩町中 禅堂平

御嵩富士の南の中腹禅堂平ぜんどうびらにある。大智山と号し臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。天保年間(一八三〇―四四)までは北方鈴の洞すずのほらにあった。応永一六年(一四〇九)京都妙心寺三世無因宗因が弟子の日峯宗舜に命じて春木はるき末国すえくに(現御嵩町の中央部か)につくらせ無著むちやく庵と称したのが始まりとされる。その後中村なかむら郷内の鈴の洞に移転し、名を愚渓庵と改めたらしい。永享一一年(一四三九)三月二六日、今井宗源・大垣内衛門・藤木道藤は、飯尾氏知行の「中村二分方之内」の山を「承蔵主之御庵」へ寄進した(「今井宗源等寄進状」愚渓寺文書、以下とくに断らないものはすべて同文書)。宗源寄進分は「大平」の一部、道藤寄進分は「高尾か峰」の西方、衛門寄進分は「鈴之洞」一円であった。文安三年(一四四六)宗源は知行分「おうひら山」を「くけいあん」へ寄進(八月一日今井宗源寄進状)、同五年四月二七日には押小路康盛からたから(宝)(押小路寄進状)、同年一二月一二日には斎藤利永から平賀ひらが郷内長田名(現関市)(斎藤利永寄進状)、同六年三月二七日には利永から「小泉庄下郷之内高尾峰并鷲津方知行中村郷之内放岡」(斎藤利永寄進状)、四月には今井宗賢(宗源)から「ほうつきのほら・洞の上」一円が寄進された(今井宗賢寄進状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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