可児郡(読み)かにぐん

日本歴史地名大系 「可児郡」の解説

可児郡
かにぐん

面積:五八・九二平方キロ
兼山かねやま町・御嵩みたけ

県南東部に位置し、北は加茂郡八百津やおつ町、東は瑞浪みずなみ市、南は土岐市・可児市と接する。西境を木曾川、中央部南寄りを可児川が西へ流れ、可児川沿いと西端は平坦地、北・東・南を低丘陵地が占める。東部は飛騨木曾川国定公園に属する。旧郡域は北は八百津錦織にしこおり伊岐津志いきつし地区、南・西は可児市と多治見市のうち土岐川以北を含んでいたから、木曾川と土岐川に挟まれた地域で、西は尾張国に接していたことになる。東・南・北は東美濃高原の西端を占め、西は濃尾平野に続く平坦地およびなだらかな丘陵地。西と南は木曾川・土岐川の水系に属し、その河岸段丘に集落や耕地が多い。

〔原始・古代〕

第三・第四紀層が多くみられ、御嵩町中切なかぎりのブノロフォドン・アンネクテンス(象)など哺乳動物や落葉広葉樹の化石が各所で発見され、平坦な耕地の地下には亜炭が多く埋蔵されている。土岐川沿いには先土器時代の遺跡が多く、木曾川沿いには縄文時代の遺跡がみられる。可児川流域の丘陵裾には山田やまだ横穴・東寺山ひがしてらやま古墳・宝塚たからづか古墳・中切古墳(御嵩町)などを中心に伏見ふしみ古墳群・なか古墳群などがあり、西方可児川と木曾川合流点に至る現可児市域の広見ひろみ古墳群・前波まえなみ古墳群などと合せ、東濃地方の古墳集中地帯を形成している。久々利くくり川右岸や可児川左岸に条里地割がみられたが、大正年間の区画整理により消滅した。御嵩町伏見の伏見廃寺からは川原寺式に属するとみられる軒丸瓦、同町御嵩の願興がんこう寺からは白鳳期とみられる軒丸瓦が出土しており、奈良時代以前にさかのぼりうる寺院建立が推定されている。

郡名の初見は天平勝宝二年(七五〇)四月二二日の美濃国司解(東南院文書)で「可児郡駅家郷戸主守部麻呂」とみえる。延暦一六年(七九七)六月六日田租徴収を不三得七から不二得八とする法が発せられた。これに対し美濃国司から、可児郡など四郡は山谷の際にあり、土地がやせて常に不作・荒廃が多いという実情をふまえ、可児郡・土岐郡は不三得七の特例を認めるよう願いが出され、同一九年四月一七日田租徴収法は不三得七に復した(類聚国史)。「三代実録」貞観五年(八六三)九月一三日条に、可児郡人左史生従八位上長谷部貞宗がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報