旺文社世界史事典 三訂版 「慶暦の治」の解説
慶暦の治
けいれきのち
名臣・名儒・文豪が輩出し,文化が栄えた。しかし外に契丹・西夏の圧迫,内に党争が始まり,この治世は北宋の盛世であるとともに衰退の第一歩であった。
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…13歳で即位,劉太后が11年間摂政となる。范仲淹,韓琦(かんき),欧陽修ら新興科挙官僚の台頭期にあたり,〈慶暦の治〉と呼ばれる後世士大夫の理想とする時代に君臨した。だが現実には,唐から宋への変革の収拾が十分につかず,冗官冗費に加え,西夏(タングート族)との戦いで軍事費が膨張し,財政困難に陥った。…
…王安石の改革の先駆ともいうべき,行政・財政改革をはかったが理念的にすぎて失敗,晩年は杭州などの知事をつとめた。韓琦(かんき),欧陽修(おうようしゆう)らとともに,仁宗の〈慶暦の治〉の立役者として,後世の士大夫から理想化されるが,一族の生活安定のため義荘を設けるなど利財にも抜けめなかった。【梅原 郁】。…
※「慶暦の治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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