改訂新版 世界大百科事典 「仁宗」の意味・わかりやすい解説
仁宗 (じんそう)
Rén zōng
生没年:1010-63
仁宗(清) (じんそう)
Rén zōng
→嘉慶帝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
→嘉慶帝
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中国、北宋(ほくそう)の第4代皇帝(在位1022~63)。姓名は趙禎(ちょうてい)。真宗のあと13歳で即位。初めは劉太后(りゅうたいごう)が摂政(せっしょう)にあたり、1033年から親政となった。宋朝は安定期に入り、科挙制も整備拡大されて、韓琦(かんき)、范仲淹(はんちゅうえん)、欧陽修(おうようしゅう)、司馬光らの名臣が輩出、周敦頤(しゅうとんい)、二程子(程顥(ていこう)・程頤(ていい)兄弟)らの儒学者も現れて、「慶暦(けいれき)の治」とよばれる盛時を迎えた。しかし、国内的には郭(かく)皇后の廃立をめぐって名臣間に「慶暦の党議」を巻き起こし、冗官(じょうかん)・冗兵問題や飢饉(ききん)から農民反乱も起こり、対外的には西夏(せいか)の侵入を受け、消極策をとったため、西夏や遼(りょう)への歳幣も増加し、国家財政は下降線をたどった。次の英宗・神宗時代の赤字財政の素地はこの仁宗の時代にできあがっていた。
[柳田節子]
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