成富兵庫(読み)なるとみ ひょうご

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

成富兵庫 なるとみ-ひょうご

1560-1634 織豊-江戸時代前期の武士,治水家。
永禄(えいろく)3年生まれ。肥前佐賀藩士。藩主鍋島勝茂(かつしげ)に土木治水事業の必要性を説く。巨勢野(こせの)の新田開発,市ノ江水道の開削,筑後(ちくご)川の千栗(ちりく)土居(どい)堤防などの事業をすすめた。寛永11年死去。75歳。名は茂安。

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世界大百科事典 第2版の解説

なるとみひょうご【成富兵庫】

1560‐1634(永禄3‐寛永11)
近世初期,佐賀藩の治水家。名は茂安。藩政確立に際して行われた土木治水事業に力を発揮した。佐嘉(賀)城と城下町用水を確保するための川上川の水を分水する施設となった石井樋の工事のほか,佐嘉城北部の灌漑のための市ノ江川,横落水道などの治水事業は,後世の基本的水利体系となった。筑後川の治水を図った延長12kmの千栗土居(ちりくどい)の事業も大きく,そのため彼の名にちなんで,現在でも北茂安町がある。【長野

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世界大百科事典内の成富兵庫の言及

【せき(堰)】より

…おそらく古くからのせきには一文字ぜきの型式がもっとも多いであろう。 近世初期の築造と伝える諸せきのうち,肥前佐賀の東,川幅数十mの川上川に存在する成富兵庫の考案と伝える一ノ井ぜきは,嘉瀬川のせき止め5個を並べた間に,過水の排水部を設け,たたえた水をいったん上流左岸の天狗鼻を迂回して東へ水路を導き,その川中に亀石と呼ぶ流砂止めの石をおき,さらに迂回南下させて途中に余水吐(よすいはき)を設けるなどしてあり,おそらく当時としての機巧を尽くしたあとをとどめている。いったん流失した一文字ぜきの受水区域はたいてい例年のごとく二度目の夏普請を行って再築し(春のそれよりも簡略であることが多い),用水期間中の水量を確保する例となっていることも多い(かつての近江犬上川一ノ井ぜき)。…

※「成富兵庫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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