我谷村(読み)わがたにむら

日本歴史地名大系 「我谷村」の解説

我谷村
わがたにむら

[現在地名]山中町我谷町

大内谷おおうちだに川と大聖寺だいしようじ川の合流地に位置し、南に富士写ふじしやヶ岳(九四一・九メートル)がそびえる。「江沼志稿」によると大聖寺川に落合おちあい橋、大内谷川にしん橋が架かり、大内峠越の道に出る。集落は合流地から大聖寺川を五〇〇―六〇〇メートルほどさかのぼった右岸にあったが、昭和三四年(一九五九)に着工された我谷ダム建設により水没、若干の住民は転出し、残留者は現栢野かやの町の南部に移住して新たに我谷町を形成。村名は「わがた」ともよばれ、地内に輪形わがただけという山があるというが(三州志)、いずれをさすか不明。「朝倉始末記」に、天文二四年(一五五五)八月一二日、朝倉教景の加賀侵入に対し、一揆篝火を「輪形はかたたけ」でたいたと記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む