我部村(読み)がぶむら

日本歴史地名大系 「我部村」の解説

我部村
がぶむら

[現在地名]名護市我部がぶ運天原うんてんばる

羽地はにじ間切の離島屋我地やがじ島の西側に位置し、東は饒平名ゆぴな村。西はワルミ(運天水道)を隔てて今帰仁なちじん間切湧川わくがー(現今帰仁村)で、同村の下我部(シチャガブ)から移動してきた。集落は饒平名村の集落に隣接し、琉球石灰岩からなる低い丘陵上に立地する。周辺には廃藩置県以降の移住により形成された屋取集落が点在する。間切所属の変遷とその事情は呉我ぐがー村と同じ。絵図郷村帳に今帰仁間切「がぶ村」とみえる。琉球国高究帳では同間切「かぶ村・まつざ村」と併記され、高頭一五四石余、うち田一〇八石余・畠四六石余。「琉球国由来記」では我部村とみえる。康熙三〇年(一六九一)我部村に松田まつだ村が含められたが(「球陽」尚貞王二三年条)、その後の史料松田村が我部村とともにみえ、我部・松田と併記される。乾隆七年(一七四二)の竿入帳によると屋敷数は松田村を含まず一一(真羽地)

「琉球国由来記」によると、琉球の塩作りは我部村に始まるとされ、俗に「我部ノ塩屋」といい、海水を直接煮て塩とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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