子ども(読み)こども

改訂新版 世界大百科事典 「子ども」の意味・わかりやすい解説

子ども(供) (こども)

子どもという言葉と概念について考えようとする際に,まず注目されるのは,その意味の多様性であろう。現在最も一般的なのは,おとな(成人)の対概念としての子どもであり,この場合は,個体としての生命の発生から成人するまでのあらゆる段階にあるもの,すなわち,胎児,乳幼児,児童,少年少女などを総称する。次いで親の対概念としてのそれは,年齢や生物的・社会的成熟度とは無関係に,先行世代の個体によって生み出されたもの,もしくはそれと同等の役割をとる者の総称である。そのほか従者や使用人を呼ぶ場合もあり,また古くは,歌舞伎の若衆や遊里の遊女の呼称でもあった。これらから要約するなら,子どもとは一種の関係概念であって,ある構造の中心にあって力を持つものの側から見て,同種・同族でありながら,ちょうど対関係にあるもの,すなわち年齢の大きいものに対して小さいもの,成熟に対して未成熟,独立に対して依存,支配に対して従属,などの関係にあるものの総称という把握が可能であろう。

 子どもを意味する言葉には,大別して二つの系統があるとされているが,その一つは子孫を意味するもの,他は子どもの特色を形容するものである。たとえば英語のchildは前者の例であり,infantは後者の例とされている。日本の場合〈子〉には鳥や魚の卵の意が含まれていて,同時に〈小〉の意味でもあるから,この両面を併せ含む言葉として現在は機能していると考えられる。古くは同義語として童(わらわ,わらべ)が用いられていたが,これは頭髪がわらわらと乱れたありさま,すなわち髪型に由来する語ともいわれていて,おとなとは異なるあらわれの特色が,その呼称に影響していることをうかがわせる。

 子どもという概念が,このように関係的なものであるとすれば,その範疇化,たとえば年齢の上限をどこに定めるか,あるいは未成年者としての法的な規制をどうするかなどは,そのこと自体が一つの意味として機能する。子どもの年齢の上限が,文明の進歩の度合を示すなどといわれるのはその一例である。したがってどの範囲の人々が子どもと呼ばれ,またその子どもがどんな特色で表されるかは,それぞれの時代と文化によって異なり,逆からいえば,子どものありようが時代精神の深層を露呈するということになろう。これら子どもという範疇を規定する時代精神の,意識的・認識的な側面が児童観と呼ばれ,より潜在的・基層的な面は児童感,あるいは子どものイメージなどという言い方でとらえられている。最近はしばしば〈子どもへのまなざし〉という,より象徴的な把握が試みられているが,これは両者がより一体的・統合的に機能すると考えられ始めたことを示している。

フランスの歴史学者アリエスPhilippe Ariès(1914-84)が,《家族の中の子どもL'enfant dans la famille》(1948),《子供の誕生L'enfant et la vie familiale sous l'Ancien Régime》(1960)などの論稿で提示したのは,子どもおよび子ども時代が,ヨーロッパ17世紀という時代の〈まなざし〉によって発見されていく過程であった。アリエスは〈昨日,それは何であったか? 無であった。明日,それは何になろうとしているか? すべてに〉という,第三身分に関する言説を引きながら,子どもの状況もまた同じであると指摘する。すなわちヨーロッパ中世には,おとなと区別された子どもというものは意識されていなかったし,したがって子ども時代も存在していない。赤ん坊の段階を脱した小さい人々は,直ちにおとなの役割のさまざまな段階に移っていった。まず,おとなになるための見習い期間とでもいうべき家事使用人となり,さらにそれぞれの身分や家柄に応じた徒弟修業へと入っていく。結果として彼らは,特別の場所や学校に隔離されることもなく,あらゆる点で,きわめて早い時期から全体としての共同生活に組み込まれていった。子どもを説明するための特別の用語は,14世紀以前には見いだされないし,子ども用の服装,玩具,本,また子どもだけの遊びなどが16世紀以前に見られないのは,このことを証している。子ども時代という新しい概念が誕生するのは,フランスを中心とする西欧社会では,ほぼ17世紀以降のことなのである。

 子ども時代の発見は,家族のありようと不可分に結びついている。かつて家族とは,世襲財産社会秩序を維持するための一つの社会制度であった。そして一方では,人々は多産であったから,財産維持の限度を超える小さい人々は,なんらかの形で家を出されるのが常であった。しかし17,18世紀以降顕著になる財産の均分相続への動きは,親が個人としてのひとりひとりの子どもに関心を示し始めたことを物語っている。財産が分割されると,それまでは世襲財産と父の権威を中心に結集していた大家族が,一対の夫婦から成る小さな単位へと変貌し,夫婦のきずなを維持するために子どもが重要な意味をにない始めた。しかもこの家族形態を維持するためには,子どもを一定期間両親の保護の下に置くことが必要とされて,子ども時代はある程度の長さに範疇化され,この時期の特色として未成熟性と依存性が強調されて,特別な教育の必要性が注目されることになった。この意味で近代学校制度の誕生は,子ども時代の発見と軌を一にしている。おとなとは異なる特別の存在と意味づけられた子どものために,一定期間社会から隔離し,同年齢集団で特別なプログラムの下に生活させる学校という場が用意されたのである。就学中の彼らは,経済的・精神的に両親に依存せざるをえないから,両親と子どもの結びつきは強靱になり,結果として家族のきずなも強化され,子どもは近代家族の中心に位置を占めるようになった。

 これら歴史的な考察は,われわれにいま見えている子どもおよびその子どもらしさも,このように作り上げられた〈まなざし〉の所産にほかならないことを示している。子どもを無垢とみなすこと,あるいは子どもに無限の可能性を見ることなど,そのときどきの代表的な子どもイメージは,その端的な例といえよう。おとなと対をなしてとらえられる小さい人々は,いつの時代にも存在したのだが,彼らがわれわれがいま考えているような子どもとして把握されるようになったのは比較的新しく,たとえばヨーロッパ社会においても,せいぜいここ2,3世紀のことなのである。

ところで日本の場合,明治以降の近代化の歩みの中で,こうした西欧の〈まなざし〉を借りつつ,子どもの発見とその学校教育制度への囲い込みが促進されてきたことは否めないが,しかし有史以来のその歩みが,すべて西欧のそれと重なり合うか否かは,今後解明されるべき問題である。教育学者石川謙らの見解によれば,日本における児童の発見は中世仏教の興隆以降とされているし(《わが国における児童観の発達》1949),一方民俗学者らの知見は,古代以来の子どもに注がれた,愛育的まなざしを指摘している。しかししばしばその証として引用される〈7歳までは神のうち〉という俚諺も,逆に考えて,子どもがいまだ人間とみなされていないという側面を示すものととらえるなら,必ずしも愛育的まなざしの所在を証するとばかりは言えないであろう。また大宝令(701)中に,土地受給の対象を6歳以上と規定した条文があって,これを子どもが注目されていたことの証と解釈することもできるが,逆に,6歳以上はおとなと同様の労働力と扱われていたとも考えられて,今後の検討を必要としている。いずれにせよ,近世中期から末期にかけて,子ども向けの玩具や読み本のたぐいが簇出し,教育書や育児書の刊行が盛んになることからみて,時代のまなざしが,子どもを従来とは異なる視角でとらえ始めたことは確かであり,このあたりに一つの節目があって,明治以降の子どもの生活の近代化が準備されたものと考えられる。

20世紀に入ると,自然科学の優位の時代を物語るかのように,子どもも科学の光の下に照らし出されるようになる。発達心理学の隆盛は,人間性の解明を自然科学的客観主義の手にゆだねるべく,子どもがかっこうの実験材料に選び取られたことを証している。すなわち,人間を他の動物と分かつものが,言語に代表される象徴的秩序の体系であるとすれば,その仕組みと形成の過程を明らかにするには,すでに象徴的秩序の中にはまりこんでいるおとなよりも,現に形成途上にある子どもこそがふさわしいと考えられたのであった。したがって,いまわれわれが自明としている〈子どもは発達途上にある〉とか,〈子どもはそれぞれの発達段階にふさわしく教育されねばならない〉という見解は,すべてこうした時代精神のあらわれにほかならない。

 子どもがどのような存在であるかは,その時代と文化の中で,おとながどのような関係の対象として子どもを取り扱うかにかかっているから,文化的基盤が急速に変貌し,おとなの生活がさまざまにゆすぶられている現在,子どものありようが安定さを欠くのは当然である。おとなにとって,小さい人々が従来の子ども像から逸脱し,子どもらしさを喪失したかに見えるのは,おとながいまだ新しい関係を子どもとの間に取り結びかねていることの証であろう。子どもの実態把握にもまして,まず,子どもとは何か,が追究されねばならない。
遊び →育児 →学校 →しつけ
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子どもの第1の意味は人生の段階の一つということにある。乳幼児,子ども,青年,壮年,老年というように世代的に区分することは洋の東西を問わず古くから行われてきたことである。日本における〈世代としての子ども〉は,年齢的には7歳から15歳までの者をいうのが古くからの伝統であった。各地で〈七つ前は神の子〉とか〈六つ前は神のうち〉という表現があるように,数えで7歳になるまでの幼児は人間としての存在を確定しておらず,いつどのようなことで他界へ戻ってしまうかもしれない不安定な存在であった。7歳になってはじめて人間となり,その第1段階としての子どもということになった。各地で氏子入りをはじめ各種の儀礼が行われるのはそのことをよく示しており,また近年ますます盛んになってきている七五三の行事の7歳もそれである。近代の学校制度が学齢を満6歳からとしたのもそのような観念に裏づけられているといえる。15歳は子どもでなくなる年齢である。15歳に達すれば一人前の人間として扱われることは戦国大名の家法の条文をはじめ,江戸時代の幕府法にもしばしばみられることである。たとえば《今川仮名目録》は〈童部(わらわべ)あやまちて友を殺害の事,無意趣の上は,不可及成敗。但,十五以後の輩は,其とがまぬかれ難歟〉と15歳を境に人間を区分している。これは江戸時代の《御定書百箇条》で〈拾五歳以下之者御仕置之事〉という条を設けて,同じ犯罪であっても15歳以下の者の処罰を大人よりも軽く規定していることに受け継がれている。また,1689年(元禄2)に出された〈幼年之もの乗物に乗候年数之儀〉は武士の子どもについての規定であるが,15歳までは駕籠に乗ることを認め,16歳の正月からは馬に乗ることを指示している。15歳で人間を区別し,それ以上を一人前として扱うことは〈十五・六十〉という表現に示されている。百姓一揆においてしばしば15歳以上60歳までの男子が動員の対象とされているのである。

 子どもが7歳までの幼児と異なる点は男女の区別が明確に存在したことである。7歳から15歳までの子どもは全国的に子供組として組織されたが,その子供組は通例男子のみの組織であった。また,男子は天神講,女子は弁天講と,別の集会をもっている所もある。貝原益軒が《和俗童子訓》(1710)で〈七歳,是より男女,席を同じくしてならび坐せず,食を共にせず〉と言ったことは,日本の伝統的な子ども観を儒教道徳で強調したものといえよう。学校教育以前あるいは以外における子どもはただ遊んでいるだけの日々であったと思われがちであるが,実際は,社会的には子供組に組織され,地域の年中行事や儀礼の執行を分担し,また家内部においても子どもがしなければならないさまざまな労働があり,彼らも額に汗して働いた。そして,それらを通して望ましい一人前になるべくしつけられた。15歳で一人前となり,若者組へ加入することでその完成は示された。

 世代としての子どもは古い言葉では〈わらわ〉〈わらんべ〉〈わらし〉などであるが,それらはしだいに使用されなくなり,子どもが一般化してきたのは,もともとの〈こ〉〈こども〉の意味が変化拡大した結果と思われる。子どもの第2の意味である,〈親に対する存在としての子ども〉は〈こ〉という言葉のより古いあり方を示していよう。親子という言葉は現在では実の親子あるいは生みの親子に限定されて使用されているが,本来はそのような狭い限定的な意味ではなかったというのが有名な柳田国男のオヤコ論である。勢子(せこ),網子(あご),水夫(かこ),友子(ともこ)などさまざまな〈子〉が示すように,子は本来労働組織の構成単位としての人間を意味するものであり,それに対する親は労働組織・経営組織の指揮統率者のことであった。一人の親のもとに多くの非血縁の子が存在したのがかつての農業をはじめ種々の労働組織のあり方であった。そこでの親の力は大きく,あらゆる面で子を保護していたが,小経営への分解は親と子を実の親子に限定し,親の力を弱め,子の生活を保証できない,頼りがいのない存在にした。それを補充するために,実の親子以外に多くの親子関係が設定されることとなった(親子成り)。親分・子分,親方・子方,烏帽子親(えぼしおや)・烏帽子子(えぼしご)などである。実の親に対する実の子の関係はその子どもの性や子どもの中での序列によって異なる。それは家族の権威構造と相続制度に関連しており,東北日本の長子相続の家父長制家族の所では長男が子どもの中でつねに特別扱いをされてきた。成長過程での各種の祝いも長男のみ盛大にするという所は多い。それに対し,西南日本の末子相続隠居(いんきよ)制の展開する所では子ども間での扱いの差はそれほど大きくない。親に対する子どもは,世代としての子どもとは異なり,原則として生涯変わることはない。しかし両者の関係は養育される子ども,自立した子ども,親を扶養する子どもと,家族周期(ライフ・サイクル)に対応して変化する。
捨子 →成年 →読み書き算盤(そろばん) →(わらべ)
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の子どもの言及

【親子】より

…南太平洋のトロブリアンド諸島の原住民は,子の出生にあたっての父親が果たす役割を知らない。にもかかわらず,家族生活では,タマと呼ばれる男性が子どもにとっては母親の親しい人であり,愛情をこめて自分たちを養育してくれる男親であって,今日の父親のイメージと本質的には異ならない。彼らは父子間の血のつながりを知らないにもかかわらず,社会的な父親の存在を認めていることになる。…

【教育】より

…教育とは,広義ではこれらの人間形成全体を指すが,狭義では一定の目的ないし志向のもとに,対象に対する意図的な働きかけを指す。この場合にも,次の世代への意図的働きかけにとどまらず,成人教育,生涯教育という言葉が示すように,同世代の,あるいは世代間の相互教育(集団的自己教育)を含んで使用される場合もあるが,より限定的には,先行世代の,次の世代(子ども,青年)に対する文化伝達と価値観形成のための意図的働きかけをいう。その教育には公的機関の関与のもとに,公費によって組織された公教育と,家庭ないしは私塾による私教育の形態がある。…

【子どもの権利条約】より

…公定訳では〈児童の権利に関する条約〉という。アメリカ(署名済),ソマリアを除く191ヵ国が承認(1997年現在),地球をおおう子どもの憲法(マグナカルタ)ともいわれる。 子どもの権利についての最初の国際文書は,第1次世界大戦による一般市民,とくに子どもたちの受けた心身のトラウマ(外傷)への反省から生まれた〈児童の権利に関する宣言〉(ジュネーブ宣言,1924)である。…

【児童文学】より

…ここにいう児童文学とは,子どもたちのための文学作品を意味するが,それはもとより文学の一分野であって,文学の本筋からはなれた別のものではない。しかし,児童文学は,そうした文学性をそなえつつ,子どもたちに楽しみをあたえうるものでなければならず,生涯を通じて生きつづける経験ともいうべき深い意味の教育性をそなえていなければならない。…

【稚児】より

…7歳から12歳くらいまでの子どもを選んで,神社の祭礼などにおける奉仕者にするもの。このとき稚児は美しく着飾り,おしろいを塗り,額には呪術的な文様などをつけ,馬に乗りあるいはおとなの肩車に乗せられて社殿に運ばれ,そこで神饌を献納したり,舞踊を奉納する役をひきうける。…

【童】より

…わらんべ,わらわ,わらわべ,わろうべともいい,童部とも表記した。普通には男女を問わず元服以前の児童(童子・子ども)をさした。童というのは10歳前後とする考え方もあるが,そのように限定してしまうと,かえって童の語にふくまれていた豊富な内容が見失われかねないともいえる。…

※「子ども」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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