日本歴史地名大系 「戸倉関所跡」の解説
戸倉関所跡
とくらせきしよあと
会津街道の上野側最北に置かれた関所。同街道は
当関所の勤番を勤めた星野・松浦両家が慶応三年(一八六七)関所に提出した関所掟并明細返答書(松浦文書)に、「上州戸倉御関所之儀者、慶長五子年(中略)、私先祖星野市之丞上州利根郡土出村ニ住居罷在候節、米沢上杉景勝公江敵対之族罷越候之由、(中略)下野日光山・奥州・越後・上州右四ケ国境目堅メとして、御関所被立置」とあり、天和元年(一六八一)の郷村品々記録(小林文書)に、「戸倉村番所 番頭星野市之丞 右村百姓順番ニ而、弐人宛下番相勤申候、但百姓役目を除為相勤申候」と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報