戸沢盛安(読み)とざわ もりやす

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸沢盛安」の解説

戸沢盛安 とざわ-もりやす

1566-1590 織豊時代武将
永禄(えいろく)9年生まれ。天正(てんしょう)6年出羽(でわ)角館(かくのだて)(秋田県)城主となる。近隣小野寺義道(よしみち),秋田実季(さねすえ)らと抗争をくりかえした。勇将として知られ,鬼九郎と称される。天正18年豊臣秀吉の小田原攻めにしたがうが,6月6日病没。25歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の戸沢盛安の言及

【戸沢氏】より

…出羽国の戦国大名。のち出羽国新庄藩主。鎌倉初期に平貞盛後裔という平衡盛が陸奥国岩手郡滴石(しずくいし)の戸沢郷に拠って戸沢氏を称し,その子兼盛が出羽国山本郡門屋(かどや)に進出,15世紀初めに家盛が同郡角館城を本拠とした,と伝えられる。近世期作成の《戸沢家譜》の説であるが,裏付け史料は未詳。15世紀末の山本郡神宮寺八幡宮棟札に記載の平飛驒守家盛が現存史料上の初見であり,戦国末期にようやく動向も明白となる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」